BeJazz
by k.aoki / since 21st Nov.2001
sorry Japanese only



日日の演習:





29th Nov 2019

昨日はマイナス6.7℃まで下がり、12月下旬の気候となった。今日は日中もマイナスで一気に真冬の寒さだ。夕方、買い物と車のガソリン補給の為に300mほど下の街に出向いたが、下は雪が降らなかったようで、屋根に雪を積んだ車は私のしかなく珍しがられた。ガソリン・スタンドでは、注入口の蓋が凍ったまま開かなく、慌てて事務所でドライバーを借りた。本当はお湯で溶かせば楽なのだが、まだ、その準備もしてないようだ。昨日は甘く見たが、今日は水道の水抜きをしなければならない。一旦凍り付くと水が使えなくなるのだ。世界中が地球温暖化でヒステリーになっているが、こういうとき、これは壮大なデマかもしれないと思えてくる。確かに海水の温度が上がり、海流の流れが変わって漁獲量が激減しているけど、この程度の変化はよくあることという学者もいる。結局、壮大過ぎて真相は分からないというところが、この国際問題のミソなのだろうか。人類の無知さは、まだまだ使い勝手がある。

28th Nov 2019

初雪。昼頃、雪交じりの小雨。これはまだ積もらないだろうと思ったが、夕方には6cmの積雪となった。その後も少しづつ増し、深夜には11cm。雪が溶けないのは温度も低いからで、日が変わる時刻にはマイナス4度にもなった。突然の真冬である。ベランダに置いてある餌を啄みに来た小鳥もどこか驚いている。

18th Nov 2019

久しぶりに新しいコンピューターを買った。安くて軽い持ち運びが容易な小さな機械だが、性能は悪い。昔はこういうのは概して高価なものだったが、今はこの会社の最低レベルにランクされている。最低レベルとは、むろん、性能の悪さに集中している。と言っても高性能を必要とするゲーム遊びをするわけでもなく、巨大なファイルを処理する目的もないから、私には、この最低のレベルで十分なのだ。重量1kg強、画面11インチ、A4サイズという手軽さだが、正直言うとサイズはもっと小さくてもいいと思う。けれど、ディスプレイが大きいのが時代の趨勢なので、小さいとむしろ高くなるかもしれない。さて、この新しい機械の魅力は記憶装置で、これまでの回転部のあるHDDに変わり、半導体によるSSDを採用していることだ。私には本格的にこれが入った最初の機械で、時代の流れを痛感させるものである。しばらく前からこの記憶装置が急速に価格が下がってきたのをみていたが、この最低価格の機械にも導入されたのが驚きだった。正直言うと、実は初期のSSDが入った機械を大分昔にもっていた。しかし、記憶容量が極端に小さく、使い物にならなかった。当時は外部記憶装置も容量が小さく、1ギガバイトの時代だった。この新しい機械にmicroSDカードも入れたが、32Gが1000円もしない。ちなみに私が使うソフトと原稿などのアーカイーブ全て含めて10Gもない。いろんな意味で、私は時代に取り残されているのかもしれない。

1st Nov 2019

部屋を整理していたら、視聴用のオーディオ装置のスピーカーケーブルが古いウェスタン・エレクトリック製であることが分かった。機械の後ろなど普段見ないからすっかり忘れていたのだ。調べてみたら最近復刻版が生産され、飛んでもない高価で取引されている。それだけの銘品ということなのだろうが、実際友人の小さな遺品として譲り受けたこのコードをたまたま仕事部屋に新たに設置した装置に使ってみたら、それまで気に入らなかった小型のJBLのモニター・スピーカーが、なかなかいい感じで鳴ったので、友人はいいものをもっていたんだなと納得した。それまでは仕事部屋での視聴は、ソニーのヘッドホンで長い間済ませていた。友人の話だと、コードの値段は当時恐ろしく安いものだったが(おそらく現在の復刻版の10分の1以下)、これを取り付けてくれた人がアンプ作りの名人だったそうで、スピーカーに半田付けしたあと、その脇に署名をしてもらったと自慢気に話してくれたのを思い出す。その名人のことを調べてみたら、偏屈だがなかなかに面白い江戸っ子で、どこかで友人は知り合い、そんな作業も気軽にやってくれたのだろう。その人のアンプは、今も恐ろしく高価で取引されているが、ネットでその人が配線したアンプの写真をみると、抵抗などのパーツもかなり古く懐かしいもので時代を感じさせる。しかし、それもまたクラシカルなオーディオの味わいなのかもしれない。ゆるくよった赤と黒の細いスピーカー・ケーブルを見ながら、かつてこのケーブルをシーメンスのコアキシャル・スピーカーに半田付けし、皆で和気あいあいと視聴していたであろう友人たちの楽しい時間を想像してしまった。

17th Oct 2019

15日の東京入りは難渋した。これまでの最高記録で5時間も掛かってしまった。高速やJRばかりではなく、一般道の国号20号線も止まっているから、地域の生活は困難を極めているだろう。災害支援の標識を掲げた何十台もの自衛隊の重機車と御殿場付近ですれ違った。汚れてなく新車のように随分と奇麗だったのが印象的だった。おそらく戦争では使われることのない一般の重機をしっかり準備している今の自衛隊は、国土保安隊でもあり、災害の多いこの国では、もはや当たり前の存在のようだ。富士山麓にはこうした自衛隊の基地がたくさんあって、スーパーやコンビニで迷彩服を着た隊員たちのショッピングも毎日のように遭遇する。遠くに演習の爆発音も聞こえ、緊迫感とともに慣れっこになったのか、どこかのどかさが隣り合わせで、何か客観的にこの世界を考えられる気がする。

14th Oct 2019

台風、ラグビー、東アジア、何とも慌ただしい世界だ。明日は久しぶりの東京だけど、台風による崖崩れで中央高速が止まり、東名から入らなければならない。いろいろ面倒なことがあるけど、動き出すのは悪くない。

22nd Sep 2019

昨日の夜の気温は11℃で、東京との差は10度もあって、改めてここの寒さを確認した。それでも昼には15℃になり、やはり秋ということになるが、東京は25℃なので、まだまだ夏なのだ。こういう温度帯の中のズレに、人は季節の違いを感じるのだと思うが、概して都会人は気温の変化をがまんしてしまうと思う。寒い地方の人が東京に来て、何と寒いんだろうと思うようだが、それはがまんすることなく必要に応じて対応しているからだ。昔は東京でも厚手のオーバーを着ていたが、いつのまにかコートはレインコートでもよくなってしまった。縦横に走る地下鉄は暖房が効き、脱ぎ着のことを考えると面倒なのだ。NY帰りのミュージシャンと会うと、とんでもない厚手の重そうなコートを着ているので、最初はこれはファッションなのだと思っていたが、その内、冬のNYは飛んでもない寒さなのだと分かり、同じ都会でも違うんだと納得した。こんなことをだらだら書いていたら、ふと岩浪洋三さんのことを思い出した。おそらくジャズ・レコードの解説を一番大量に書いた人が岩浪さんだが、何故か天気図を収集している人と聞いたことがある。ジャズの執筆に関してはいいかげんで、音を聴かないで書いたような原稿もあって、仕事と言ってもこだわりとはほど遠い人だった。実際、岩浪さんは、むしろそういうことと距離を置くのが信条だったと思う。そうしたある種の無頼の精神が岩浪さんのジャズだった。あるとき岩浪さんが客席でイヤホンを耳にしながらステージを観ていたことがあった。「ジャズのステージは大したことは起こらないけど、プロ野球は一体何が起こるかまったく予測できないからね」と笑った。残念なのは、そうした岩浪さんの姿がその文章から伝わることなく、ほとんど残ってないことだ。

20th Sep 2019

すでに秋である。近くの国交省の測候所によると、今、12℃だから、ストーブを点けてもいい寒さだ。つい最近まで短パンとTシャツで過ごしていたが、そのときも夜寒くなると、着替えるのが面倒でストープを点けた。この話をすると都会の人は笑うけど、昼と夜は、それくらい寒暖の違いがあって、臨機応変に対応するというわけだ。昨日は東京に行ったが、ポロ・シャツ一枚で過ごし、帰宅した深夜に、早速、電気毛布のスイッチを入れた。そうそう、北海道では真冬にしっかり暖房の効いた部屋でTシャツで過ごし、アイスクリームを食べるという話があるが、そうだろうなと思う。

17th Aug 2019

ウェッブで、女性モデルがローライ35Sをもった高級ホテルのバナー広告を見て、今でもおしゃれな小道具として通用するんだと懐かしくなった。これが私が最初に手にしたカメラで、レコード会社のSさんから中古で譲り受けた。買値は忘れたが、今の中古カメラ店の価格より安かったと思う。35mmフルサイズで手のひらにのるこのカメラを首から下げ、長い間愛用していたのは、やはりデザインの秀逸さで、さらに細かな作りに職人精神も感じた。これで大丈夫なのかと思うような小さなバネひとつで全体の機能を支えるなんてことが信じられなかったけど、技術とはそういうものなのだ。ローライ35が高い評価を得ているのは、ツァイスのレンズを使用している面があるけど、これは設計だけだし、それにこのカメラ全体のコンセプトの中でレンズへの要求はあまりないと思う。もはやカメラとしてはおもちゃだけど、小道具としての楽しさは別格のものがある。デザインが大切なのだ。もっとも、デザインは、その当時の技術と連動して生まれるということも重要だろう。最近、フォルクスワーゲンのビートルが生産終了というニュースがあったが、今のビートルには関心がない。中身が変わっていて、外は昔の面影を残したというだけである。同じことがイギリスのミニにも言えるけど、これも感心しない。私は昔のミニに10年乗っていた。さすがにいろんなところにボロがでてきて、国産車に替えたが、新車のボンネットを開け、これがキャブレーターですかと聞いたら、販売店員がドギマギしていた。もはやキャブレイターの時代ではないんだと気が付き、恥ずかしくなった。この車も10年以上乗ったが、最後に空調の電子基板が壊れ、替えがないというので廃車にした。(今、考えると部品取りという手があったはずだが) こういうのは技術の問題ではない。腹が立った。

10th Aug 2019

渋野日向子がAIG全英女子オープンで、樋口久子以来、42年ぶりの劇的なメジャー優勝をとげたのを中継で見た。ゴルフの中継はほとんど見ないのだが、このときはたまたま深夜にチャンネルを回して遭遇したのだ。むろん、この愉快なスポーツ選手のことはまったく知らない。とにかく若く実績もない選手だが、始終笑いながらコースを巡り、フェアウェイでの待ち時間に駄菓子をガチ食いする姿に不思議な才能を見た気がした。横綱鶴竜も言っていたが、この中継での渋野の姿と同じくらい驚かされたのは、解説をしていた樋口久子のあきれるほど見事なコメントだ。この試合の勝負所はふたつあって、一打差で先行する選手が、17番ホールで入れれば勝負あったと思われた程よい距離のパットを、これは危ないと樋口は予告し、その通りになった。そして、最後の渋野のロング・パットを(勝利が)「現実になりますよ」と笑いながら予言したのだ。このとき、おそらくほとんどの人は、成功せず延長戦になるだろうと思っていたと思う。しかし、渋野にはそんな考えはなく、延長戦は嫌だ、ここは一発で決めたい、外したら3パットで負ける方がいいと思ったと試合後に語っている。ゴルフは精神力の勝負だとも言われている。微妙な迷いがミスを誘発し、ガツガツ行くものが運を引き寄せる。むろん、それを可能にする土台の実力がなければいけないが、こうした勝負の最後の暗闇のドラマを樋口久子は何十年も観てきたのだろう。笑いながらの彼女の見事なコメントにそんな闇の観察者のすごさが伝わった。そうそう、渋野が食べていた話題の「タラタラしてんじゃねぇよ」を数日後スーパーで入手しました。(笑) 小袋ひとつ45円。子供の駄菓子です。酒のつまみにもいいとありましたが、このジャンルのものはすべてそうでしょう。ちなみに私は中野物産の「おしゃぶり昆布・梅」が欠かせません。

3rd Aug 2019

NYのライトの建築と言えば、セントラルパーク脇にあるグッゲンハイム美術館だろう。ある年、仕事でNYに行ったとき、この有名な美術館で、たまたまロシア・アバンギャルド展(正式な名は、思い出せない)をやっていて、何て幸運なんだと思った。この円形の美術館は、勾配のある回廊式の展示で知られ、ぐるぐると何度も上り下りしたのを思い出す。企画は網羅的で、ポスターから工業デザインまで革命初期の様々な領域の自由闊達な表現が展示されていた。そうした表現者の一部は、その後西側に逃れ、ハリウッドなどで活躍するが、それはここでは割愛。20世紀の歴史で見逃すことのできない一シーンである。表現の歴史で言えばその荒々しい雰囲気はダダイズムということになる。その後このエネルギーはシュールレアリスムに収斂されるが、どうもコンセプトが纏まると、勢いがつくと同時に限界も見えてくるものである。ともあれ、この企画に興奮した私は、分厚い高価なカタログを2冊購入し持ち帰った。最初はダダイスト清水俊彦さんへのかっこうのお土産と思い一冊買ったのだが、やはり自分も欲しいと思って後日グッゲンハイムを再訪した。余談だけど、当時グッゲンハイムに新興の高級食料品店ディーン&デルーカが入って評判だったが、ソーホーのブロードウェイに店があり、そこに何度か通った。近くにグッゲンハイムのアネックスもあって、その関係があったのかもしれない。当時まだ日本では塩の専売制があり、ディーン&デルーカの世界の塩を集めたコーナーに長時間夢中になってしまったことがある。その姿は周りの人にも異常と思われただろうと同行の人に言われてしまった。それからしばらくして、丸の内にディーン&デルーカの店を車の中から発見し、びっくりしたことがある。ただ、今ではたくさんあるこの店にほとんど入ったことがない。ずっと昔のあのソーホーの店での時間がすべてでそれ以上のものはないと思った。

2nd Aug 2019

フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルが解体されたのが1968年だそうで、旧帝劇が無くなった4年後ということになる。新しい帝国ホテルはほとんど馴染みがないが、ライトの旧帝国ホテルには、懐かしい思い出がある。正面から入ると広いロビーがあって、その左側の廊下をずっと行くとカジュアルな設えの軽食もできる広い喫茶店があった。むろん、そこはライトの設計ではない。人と待ち合わせをしたりしてよく使っていたが、その場合正面から入るよりもホテルの横の道からの入り口を使った。記憶が確かなら、解体工事のときもそこは営業が継続されていたと思う。だが、懐かしいのはそこではない。旧館の通路の途中に、何故かあった小さなバーだ。外の通りの側にボックス席があり、人が通る小さな通路を挟んでカウンターのようなものがあったんだろう。銀座の安い居酒屋で飲んだ後、私たちはよくそこのバーにはしごした。面白いのは、給仕する人が和服を着たちょっと老いた女性で、それが帝国ホテルらしいと思った。年号を振り返ると私たちはまだ20歳前だったと思う。もしかすると高校生だったのかもしれない。今の常識では完全にアウトだが、当時はそんな難しいことは言わない時代だったのだ。料金はそんな私たちでも楽しめるもので、おばさんたちも親切に相手をしてくれた記憶がある。かつて麻生太郎が毎夜のようにホテルのバーで呑んでいたのを贅沢だとメディアに非難されたとき、麻生は、ホテルのバーはリーゾナブルな料金だと反論したことがあった。このときは麻生に味方したくなった。さて、思い出のライトの帝国ホテル玄関は、明治村に移築されているが、まだ行ったことはない。ライトの作品で面白いと思ったのは、滝を利用したカウフマン邸でアインシュタインが泳いで遊んでいる映像を見たことがあった。しかし、ハリウッドで建築の仕事をしている大学時代の友人に、ダメダメ、あれは欠陥住宅と切り捨てられ、ビックリしたことがある。

1st Aug 2019

子供の頃、帝国劇場に何度か行ったことがある。といってもミュージカルを観たわけではない。1964年に閉鎖された旧帝国劇場に映画を観に行ったのだ。この旧帝劇がなくなったときは、子供心ながらちょっと哀しくなった。エントランスから格式があり、床は赤い絨毯、大理石作りのヨーロッパ風の作りだったと思うが、ウェブで写真を捜しても見つからないので、確かめられず残念だ。四角いビルの新帝劇にはほとんど興味がない。旧帝劇は、むかしは演劇をやっていたが、子供の頃は映画館で、シネラマという新方式の映画を上映していた。その後70mm映画となり、それも何本か観たと思う。シネラマは、今は観ることができない。湾曲した巨大なスクリーンに3台の映写機で映し出されるスペクタクル映像なのだが、3分割された映像の切れ目がうまくなく、ミシシッピの川下りなど迫力ある映像は、3台のカメラが揺れてうまく接合されていない。それでもシネラマの巨大スクリーンは、見世物として一定の人気を博していた。そんなわけでシネラマは、劇映画ではなく、ドキュメンタリーだった。TVがあまり普及していない時代にこの世界の姿を迫力あるカラー映像で見せるというのがシネラマの売りだった。余談だが、このドキュメンタリー映画の流れは、その後イタリアのヤコペッティ監督の『世界残酷物語』へと受け継がれる。視点が猥雑で、いわゆるヤラセの演出もあったりしたようで評判は悪いが、これが大ヒットとなった。副産物として、主題歌「モア」がアンディ・ウイリアムスが歌うようなスタンダード・ソングになっているが、私には夭折した現代絵画のイブ・クラインの代表作の制作現場のドキュメントがここに収録されているのが貴重だと思う。いずれにしろ、当時の人は、こうしたちょっといかがわしいたくさんのドキュメンタリー映像作品で、この世界を体感したわけで、そうした好奇心は今の世界を旅するTV番組に受け継がれていると言ってもいいのかもしれない。スティールパンは、私にはそんな昔の映画のどこかで見た記憶として残っている。

29th Jul 2019

こないだスティールパンのアンディ・ナレルのステージを観に行った。このステージ評は日経新聞に書くので、ここはスティールパンに就いて書きたい。これはトリニダード・トバゴで生まれた楽器で、とにかく音が魅力的だ。ドラム缶から作られた楽器で、ブリキ板を震わせるアフリカの楽器にように、その素朴さも魅せられる。戦後に生まれた最後の楽器という言い方もある。映画『バグダッドカフェ』の主題歌「コーリング・ユー」が大好きだが、この作曲者ボブ・テルソンがこの楽器に魅せられ、自分も演奏し、毎年開かれるスティールパン・フェスティバルに参加するのを楽しみにしていると当時何かの文献で読んだことがある。流浪の現代音楽家テルソンの素顔を伝えるエピソードではないかと思う。テルソンのアルバムを一枚もっている。他にあるかどうか分からない。とにかくそのアルバムで、テルソン自身が「コーリング・ユー」を歌っていて素晴らしい。ラジオでこの曲をかけるとき、必ずこの作曲者自身のヴァージョンを選ぶ。ジャズ・シンガーの有名なものもあるし、映画バージョンもあるけど、テルソン自身が語りかけるこの曲の世界には表現の迷いがない。=つづく=

28th Jul 2019

閑かさや岩にしみ入る蝉の声  芭蕉の『おくのほそ道』の山形の立石寺での一句だが、かつてこの蝉はなんだという論争があったそうだ。アブラゼミかニイニイゼミか、さらに一匹か複数かということも論議されたようだが、安東次男は、そんなことどうでもいいという。この句には、すでに様々なバリエーションがあって、芭蕉はここで結論をつけたということのようだ。つまり、この詩的世界の完成形がこれなんだという。こうした見方がもっとも正しいように思うが、ただ解釈はいくつあってもいいとも思う。昔、京都東寺の境内を歩いていたとき、夥しい蝉の声に圧倒されたことがある。そして、ふと芭蕉の閑かさとは、もしかしたらこの喧噪のむこうにあるものを聴いていたのではないかと思った。『おくのほそ道』には、壮大な宇宙観、あるいは透徹した世界観が広がっている。アメリカの周期蝉のドキュメンタリーで、あまりのセミの鳴き声の大きさに生活がままならぬという住民の苦情があったが、これはノイズの暴力ということだろう。そして、ノイズと言えば、かつて即興演奏者にこの謎めいたノイズ世界への関心が集まったことがある。たとえば、ノイズなしにはジャズはないとか、ノイズは想像力の源泉とか…。そういえば、フランスの哲学者の本もあったなぁ。

25th Jul 2019

ヒグラシが鳴いていた。俳句では秋の季語とされ、晩夏に鳴くセミと思っていた。何かそういう風情のある鳴き声だからだ。東京に住んでいた頃、よみうりランドのジャズ・フェスで聴いた思い出がある。下町の住人には珍しいセミだったこともある。調べてみると、実は梅雨の頃から初秋まで鳴き続けるセミという。ここは高地だから、もう秋と勘違いして鳴いているとずっと思っていたのだが、勘違いは私の方だった。セミと言えば、長い周期で大量発生するセミの話を思い出し、こちらも調べてみた。周期ゼミ、さらにはその周期が13,17年で、素数ゼミともいう。北アメリカしかいない。むかしそのドキュメント映像を見たことがあるが、確かに尋常じゃない突然の大量発生で、住人が困っている様子も映し出された。ただこのセミは一種類がこの周期で発生するのではなく、それぞれいくつかの群に分かれ、違った場所に違った年に発生する。ボブ・ディランの『新しい夜明け』という1970年に出された第11作の2曲目に「セミの鳴く日」という曲がある。これはこの年にプリンストン大学で出会った17年周期の素数ゼミの大量発生がきっかけで生まれた曲だそうだ。17年周期のセミの中にはすでに絶滅、あるいは絶滅が危惧されている群があるが、このときディランが出会った年の群はとくに巨大で、次は2021年ということになる。

18th Jul 2019

昨日の続き。今日の朝ドラでは、セリフにスイングジャーナルという言葉が登場し、さらに驚いた。このドラマにはモデルがないと言われているが、急に思い出したのが立花実だった。すでに他界していたので面識はなかったが、コルトレーン・アドマイアラーだった。それとは別に、このドラマはアニメーションがテーマだが、この世界にも少し友人がいた。高円寺にあったジャズ喫茶洋燈舎の店主がアニメ界の人だったが、よく一緒に尋ねた友人もたくさんの有名なTVアニメの絵コンテや演出、監督をしていた。酔うと、オレは宮崎駿より絵がうまいと言っていたが、信用はしなかった。彼の演出するアニメはTVでよく観ていたけど、実際に描いた絵を見る機会が一度もなかったからだ。

17th Jul 2019

朝ドラを観ていたら、主人公の妹の恋人がジャズ評論家という設定でビックリした。昔からドラマで扱われるジャズのイメージに激しい違和感しかもてないが、今回はあまりに身近過ぎて、役者の演技、セリフに笑いがこぼれる。我慢して観るしかないが、あまり登場しないで欲しいと願う。

14th Jul 2019

相変わらずの雨降りで、コンピューターの画面をみているが、いささか飽きてきた。世界はそれほど容易に変容するものではない。進む局面もあれば、後退する局面もあり、勝ち負けの結果はそれほど重要ではないのかもしれない。スマホが普及し、それほどの需要はもはやないんじゃないかと思っていたが、数千円の安価な携帯がアフリカなどの新興国で爆発的に売れているというニュースを聞くと、そちらの方が想像力を刺激する。

12th Jul 2019

1ヶ月半程の入院生活から帰ってきたら、家の周りの風景が緑一色で驚いた。この時期の季節の変化は激しい。毎年楽しみにしていたエゾ春ゼミの声も聴けなかった。山椒の実の収穫には間に合った。しかし、このところ、雨降りばかりで、初夏の楽しみがない。むしろ、寒いぐらいでストーブをつけたりしながら、1日コンピューターの画面ばかり観ている。メインは進行中の日韓問題のニュースだけど、そこからいろんな思わぬ世界に飛んでいくのが楽しい。昨日は、かつて何故か定期購読していた日刊工業新聞関連のページに飛び、楽しく時間をつぶした。かつては2000人位いた社員は500人ほどに縮小され、しかも若い記者が活躍している。一見専門分野の特殊な人々のように思われるけど、まったくそうではないのが面白い。この日本を動かしている様々な先端的世界を理解するには、十分な好奇心と当たり前の常識と知識を武器に勉強さえすれば、そんな難しいものではない。

21st Apr 2019

気温が上昇し、一気に富士桜が開花した。ツツジはまだ咲かない。ソメイヨシノも3分というところだろうか。相変わらず殺風景な木々の間に、背の低い富士桜の小さなピンクの花びらが、程よいイルミネーションのような化粧となって、点々と遠くまで広がり見える風景は、ちょっとした幽玄の世界である。

20th Apr 2019

携帯・スマホの環境を改善しようと、いろいろ調べているのだが、なかなか着地点が見つからない。機械は少しずつ進歩しているようだが、すでに数年前に進化の飽和点に達しているように思う。世界的に携帯の売り上げが鈍化しているようだが、それと関係しているのだろう。5Gがどうのこうのと言われるけど、必要とされるのは一部の世界で、4Gでも十分だし、私のスマホは、今だ3Gで新興国状態だが、それで大して困ることもない。この世界は、日本は独自の環境を作っていて、使い方が実に煩雑で不便だ。特に料金体系は、何とか人を騙してやろうと考えこんだような複雑かつ不毛な世界で、まったく話にならない。こういうのはテクノロジーを後退させるシステムだ。sim一枚を差し替えるために、こんなにハードルを高くして、無駄にエネルギーを消耗させるのは、現行のシステムがすでに陳腐化しているとしか言いようがない。大体、simは必要なのかと思う。発想を変え、新しい技術がこの世界を大胆に変えるべきときだと思う。

15th Apr 2019

去年の夏から半年ほど病院暮らしが続いた。命に関わるような病気ではないが、身体が不自由になり、その運動機能回復の為の入院だ。その間、いろいろ勉強になったことや考えたことがあるが、そのことはここには書かない。というかあまりにも多いので整理がつかない。仕事は、この間も続けていて、原稿を書いたり、ライブを観たり、ラジオ放送の録音の為に東京にも出かけていたから、病院暮らしだったことは分からなかったかもしれない。さて、富士山麓にもようやく春がやって来そうだ。まだ、数日前の雪が少し残っているけど、もう寒さは戻ってこないだろう。草の芽が顔を出し、木には蕾が…。この自然の営みは、都会では実感できないかもしれない。「長い冬の終わり」という常套句のような表現があるが、この長いという形容詞の背後には、厳しい冬の寒さをしのいできた人間にはその時間以上の思いが駆け巡る。

mailto:befree@bejazz.com


Counter

Click for Kawaguchiko, Japan Forecast  世界の天気