BeJazz
by k.aoki / since 21st Nov 2001
sorry Japanese only



日日の演習:





17th May 2024

怪獣映画はよく観てた記憶があるけど、詳しくはない。映画は当たり前の娯楽であり、映画館に行くというのが普通の暮らしだった。TVの普及がその暮らしを変えたのだけれど、それは急激な変化ではなかった。今でも映画館での映画鑑賞がしっかり残っているのだから、しぶといと言える。怪獣映画は、当たり前の娯楽だった映画の代表だが、そういう映画の記憶があまり残っていない。いや逆に残っていたら、それは時を忘れさせる娯楽の基本条件から外れているのではないかとも思ってしまう。そんな中で『地球防衛軍』というSF映画を懐かしく思うのは、この映画を観たのは正月で、そして、その特別興行は映画と一緒に都はるみのショーがあり、玉川良一も出演するそのショーが何とも楽しかったからだ。当時はこうした娯楽興業がまだ残っていた。正月は三が日までデパートも完全休業の時代で、どこも行くところがなかったのだ。そこで出会ったデビューしたてのなま都はるみの素晴らしさに驚かされた。余談だけど、清水俊彦さんのレコード解説文に坂本冬美か香西かおりが出てきてびっくりしたことがあった。あとで酒の場で聞いたら、好きなんだということで二人して笑った。

14th May 2024

ゴジラ映画を観たかったのは、やはりあのテーマ曲を聴きたかったという理由もあった。最新作でどういう使われ方をしてるのか興味があったが、賢明なことに第一作とほぼ同じだった。ただ演奏も録音もより贅沢な仕上がりで、これにはファンは満足だろう。ちなみにこの曲は、ゴジラ映画が初出ではなく、戦後直後の柳家金語楼の『社長と女店員』https://www.youtube.com/watch?v=NklvxiHk6sEという映画でもつかわれたという有名なエピソードがある。もとは戦時中に作られた狂詩曲で、何か違和感満載の転用なのだが、音楽って本当に自由なんだなとも思うし、当時の活気あふれる映画製作の現場のいい意味でのいい加減さが伝わって面白い。しかし、使い方はどうでも、この曲の面白さは類がないことは間違いない。何度聴いてもこの心地いいリズムが覚えられない。

13th May 2024

このサイトの更新を何度かしているのだけど、何故か反映されていない。きっとファイル保存が間違ってしまったのだろう。あまり面白くない記事だからまったく気にしないというか、これ幸という感じもある。たまってた仕事が終わったので、放心状態で何もやる気がないのだ。この間、『ゴジラ-1,0』や見落としていたジブリの『ハウルの動く城』などの映画をコンピューター画面でそれなりに楽しんでいた。それで昔から思っていたのだが、昔の映画の世界は、なんでこうも違うのだろう。1950年代のオリジナルの『ゴジラ』を再度みたら、まるで違う世界の人々で、演劇とか映画とかその表現様式の違いが、そのまま人間の想像世界の違い、世界認識の違いを映し出し記録しているように思う。そういう意味で言えば、『ゴジラ-1,0』は意外に古い演劇映画世界の想像力が健在で、ラストに残された続編の予告は、そのまま『ゴジラ+1.0』としてコロナ以後のゴジラ世界を描く古典的未来映画と予測できる。一方の『ハウルの動く城』は徹底したファンタジーで、これは一度やりたかったのだろうが、この世界は完結的で未来に引き継ぐものも少ないし、宮崎駿の関心からも消えているだろう。ついだのは『かぐや姫』なのだろうが、これはまだ見ていない。ところで、では、音楽はどうなのだろうと思う。

25th Apr 2024

昨日の桜情報だと河口湖は葉桜となっていたが、今日行ってみたら富士北麓は、まだ桜の季節だった。さらに山に入ると富士桜も咲いていて、ソメイヨシノも枝垂さくらも、おまけにツツジも盛んに咲いていて、季節の微妙なズレが消え、花が一気に咲いているという不思議な光景が広がっていた。ニュースにもなったが、高速道路から近づく富士山麓を見ていたら、そこに雪が消え6月の田植えの季節に現れる農鳥の姿も確認した。気候の変動は、日々、年々起こるので驚く必要はまったくないのだが、それでも人の暮らしは天候に左右されるので、一喜一憂、喜怒哀楽のタネにする。庭のスミレも咲き、フキもまだ小さく、大きなヤマザクラの開花はまだ先で、これらは暦通り。

24th Apr 2024

河口湖の桜も葉桜というから新緑の季節で、のんびり山に帰りたくなる。先月からの12本のアルバム解説の仕事が、新作の資料が届かないという理由で遅れていたが、いよいよ最終段階で、トンネルを貫けるのも近い。けれど、こういう時こそ失速の危険があって、着実に終わらせなければならない。何しろゴールデンウイークが眼の前で、数日後には世間の時間は停止寸前になる。その前に、今日はペレス、ブレード、パティトゥッチを参観。これもテキパキ片づけなければならない。実は休みの季節は、忙しい季節でもある。

7th Apr 2024

アルバム解説を急遽頼まれ、ポーランドのことを調べていたら、「夜行列車」という映画を思い出して、あの主題歌は何なんだったかと気になった。アーティー・ショーのバンド・テーマということは思い出したけど、タイトルを忘れた。ロイ・ヘインズのインパルス盤の冒頭、ローランド・カークが吹いていることも思い出した。そんなこんなで、ようやく「ムーン・レイ」という答を見つけたが、やはり、この「夜行列車」の物憂げな女性スキャットが、このメロディーの魅力を引き出していると思う。そして、この不思議な感覚が、ポーランドがヨーロッパの前衛ジャズの柱になったことにつながっている気がする。ヨーロピアン・ジャズ・フェデレーションという組織がある。海外新譜紹介の仕事を始めたころ、この会誌を読みたくて、本部があるワルシャワに申し込みの手紙を送ったことがある。ベルリンの壁崩壊のずっと前の当時、東欧はジャズを自由の象徴のように憧れていたのだと思う。スターリンの後、アメリカの抵抗音楽としてジャズぐらいいいだろうという判断がなされたのだろうか。しかし、事態は逆に歩き始め、ポーランドはヨーロッパ最初のフリー・ジャズが演奏されるという急進化の状況を生んだ。ところで、私が最初にNYに行ったのは1980年代初めだが、着いた最初の深夜に鈴木良雄に誘われ訪れたのがジャズ・フォーラムというクラブだった。通りに掲げられたネオンサインのロゴが、ヨーロッパ・ジャズ連盟の会誌「Jazz Forum」と同じだった。オーナーはワルシャワから来たという。

1st Apr 2024

先週、兄が急逝し、今日、焼き場に行った。係りの人から解剖学の講義を受けるように詳しく骨の状態を聞かされた。昔とは違う気がした。葬儀もいろいろと新しく変わってきた。よく考え抜かれたこの合理性は、時代の変化というより、人類の変化を考えた。そんな遠くない未来、人の寿命は100歳を越えるだろう。人は死を考え、同じくらい生を考える気がした。

16th Mar 2024

数日前、日帰りで富士北麓に行ったら、西側4合目下まで雪化粧で、見事な富士の景色だった。絵に描かれる富士の雪は8合目、9合目までの雪で、確かに構図的にはそれが美学的ないいバランスかもしれないけど、それは紋切り型すぎるだろうと言いたくなる。破調がいいというわけではない。けれど、紋切り型の美意識に倣うのは、凡庸でつまらないといいたいのだ。表現の驚きの美学は複雑だ。まず、新鮮でなければと思う。いつも富士の姿を見ていたから思うことで、そして、富士が素晴らしいのは、それでも凄いなぁといつも思わせ続けてきたからだ。

10th Mar 2024

あるドラマを観て、小道具に使われたカメラが気になって調べていたら、その性能に驚かされ、知らない間に時代の大きな変化を感じた。これほどの画像が簡単に撮れるのだったら、もしかしたら、カメラという存在が消えていくのではないか。マニアによる評価だと、この程度ならスマホで十分という意見があり、だとしたら、昔からあるカメラの存在意義はなくなると思えたのだ。今のカメラのトレンドは、むかしのフィルム・カメラというが、その行く末はたかが知れてる。むろん、プロのカメラマンは、望遠とか特殊な機能を追ったさらにその先を行く性能を求めるだろうが、その領域は、プロ並みのアマチュアしか関心がない。そんな機械は、経済的に存続の意味がない。実際、100万以上もするライカ・カメラは、高級スポーツ・カーと同じで、一般の道具という範疇ではない。ドラマで使われたぎりぎり手の届くその大量生産のマニアックで手軽なカメラは、骨董的な価値で残るしかないのか。音楽も、本来アマチュアのものだったと、ふと、考えた。

7th Mar 2024

先月、大量の執筆依頼が来て面食らったが、毎日、少しづつ書き始めたら、何とかできるんじゃないかと思い始めた。実際、執筆の速度が遅くなったという感じはなく、書き始めると夢中になってしまう。日本は定年がはやすぎるのではないかと思う。寿命が短かった昔は、55歳で定年、今は65歳だけれど、フランス、ドイツなどは75歳が定年と聞くと、長寿国の日本だから、同じで十分いいのではないかと思う。むろん、人によって差があるから、むしろ、この定年という考え方が間違っているようにも思う。実際、能力主義で定年というものがない国もある。私は、杖をついて歩いているが、自動車の運転は自信がある。歩行の困難は、左足が不自由だからで、右足は問題ない。免許の更新に行っても問題にされたことはない。自動車免許で問題にされるのは、判断力や記憶力のような能力で、これは納得できる。けれど、どれも十分な能力をもっているかつての仲間が、定年という枠で一線から消えていくのは納得できない。労働力、人材の不足が言われているけど、人を人として見えてないんだと思う。

3rd Mar 2024

雛祭り。節分から雛祭りの季節は、春の風が吹く。今年は春の訪れが幾分早く、街を車で走るとあちこちに桃の花が咲いている。群れになって咲き、強い色合いも好きになれないけど、雛祭りの花飾りではその華やぎは悪くない。

1st Mar 2024

どんな太鼓もチューニングできるわけではないから、確かにドラムのチューニングは人によって曖昧だ。ただ、音の高低は重要な要素で、メロディックな展開を楽しむことができるばかりか、トーキング・ドラムのように言語機能も発揮するから面白い。そこまでいかなくても、ある種のラテン・リズムは、リズム・パターンだけではなく、音の高低もその中に組み入れられているものもあるらしく、だから、それが守られてないと、調子っぱずれに聴こえるらしい。大分昔の光景だが、斑尾ジャズ祭での舞台で、陽気なキャラのサックス奏者がラテン・バンドとの共演で打楽器を打ち始めた。それをパタート・バルデスだったかが違うと言って取り上げ、するとしばらくしてニコニコ笑顔でサックス奏者が再び打ち出すと、今度は怒って楽器を放り投げるというコミカルの場面があった。ボサノバもそうだが、リズムはある種の言語なのだと思う。

24th Feb 2024

モレロの演奏で、もう一曲忘れがたいのがある。「エブリバディズ・ジャンピン」で、これもアルバム『タイムアウト』の曲だから、ネットで容易に聴ける。初心者の頃、これでドラムには音程がセットされているんだと知って楽しくなった。後半、モレロのソロに順番が回ると、ドラムが主題のメロディーを叩き出す。さらに即興もする。もちろん作曲者は、こうしたことも考慮しての作曲なのだ。ジャズはマーチング・バンドから始まったと言われるが、このバンドの中核楽器がドラムで、チューニングは重要な仕事だ。これを怠る指導者はいない。たくさんのドラムは、音が一つのように響き、そして、遠くまで響かせなければならない。あるとき、NYで活躍し、これからの日本のジャズを担うという新進ドラマーにインタビューしたとき、ふと、このことを思い出し、チューニングはしますかと聞いたら、え、音にはこだわるけど、音程は関係ないですよねと返ってきた。いつの時代か分からないが変わってしまった。そういえば、大和明さんが、演奏は悪くないけど、アルバート・ヒースのバタバタなる新しいドラム・セットの音がどうしてもなじめないと言っていたっけ。嗜好の変化が歴史も変える。

22nd Feb 2024

ジョー・モレロの素晴らしさは、リズムの綺麗さだろうか。夾雑物がない、無駄のない打撃で音が飛び出してくる。ジャズの歴史で最高のドラマーとよく言われるのが、シドニー・カトレットだが、カトレットの打撃も無駄がない。綺麗な打撃が、思わぬ方向から撃ち込まれる。モレロは、人気バンド、デイブ・ブルーベックでの活躍が有名だ。当時のブルーベックの変拍子ジャズを支えたのが、モレロだが、粟村政昭さんは、これはモレロの才能の無駄遣いというような意味のことを言っていた。確かにそうなのかもしれない。モレロが、もっとたくさんのセッションに参加し、演奏の記録を残していたら、確実にシェリー・マンをこえる評価を得ていただろう。現実はそうではなく、眼の病が深刻になり、そのままブルーベック・バンドを辞し、ファンの前から消えていった。ところで、モレロの素晴らしさは身近なところで楽しむことができる。ブルーベックの大ヒット曲、「テイク・ファイブ」は、モレロのドラムをフィーチュアした曲だった。普段は無視されがちだが、後半に長いドラム・ソロがある。これを聴く度に、モレロのバス・ドラムが、夜空に様々に響く花火の爆発音のようで、楽しく美しい。

20th Feb 2024

ふと井上敬三さんのことを思い出した。広島から東京のライブに参加するためにやってきて、そのときに誰かに紹介されて会ったのだろう。皆は井上先生と呼んでいたけど、私は先生と呼ぶのはためらった。一番印象的だったのは、井上さんがジョー・モレロを高く評価していたことで、これにはうれしくなり、モレロの話で盛り上がったのを思い出す。井上敬三というと高齢にもかかわらずフリー・ジャズに夢中になり、演奏活動を始めたということで話題だけれど、それ以前に普通にジャズが好きな音楽教師だった。これとは反対のイメージかもしれないが、井上さんとはミルフォード・グレーブスの素晴らしさも同じような思いを共有していたと思う。私たちは、たまたま同じグレーブスのコンサートを近くの席で観ていて、演奏が始まると不思議な思いに囚われ、ふと井上さんを見ると涙を浮かべていた。後でグレーブスが、あの泣いていた老人は誰なのかと聞いてきたと井上さんから聞かされた。人間には、まだはっきりとは分からない不思議なチカラがある。

15th Feb 2024

昨日はバレンタイン・デイで、人と会う予定もなかったし、プレゼントはないだろうと思っていたら、都留の道の駅で、会計係の女性が、今日はバレンタインだからと客にチョコレートを振る舞っていた。そんな慣習は、もはや消えゆくものになっていることに気づかないのんびりとした時間にはっとさせられた。都会暮らしに戻った私には、むしろ余裕がない。

12th Feb 2024

久しぶりにアメリカの訃報記事を見に行ったら、マリーナ・ショウとメラニーの死を知った。ショウは日本でもネットの記事になっているけど、メラニーは誰も話題にしない。人気の違いだが、同時に米日の音楽界の違いのことを思う。最近何かと話題のテイラー・スイフトは、メラニーの訃報に涙したという。ネット映像で知ったが、コロナ禍の2022年にメラニーはオランダ公演をしている。メラニーは老いても盛んで自分のサイトで沢山の記録を残していたことは知っていた。何故なら、ときおりこの不思議に魅力的な歌手のことを調べていたからだ。メラニーの有名なヒット曲はいくつかあるけど、この歌手の特殊な魅力を知りたければ、むしろ、ミスター・タンブリンマンやルビー・チューズデイのカバーをネットで聴いてほしいと思う。ディランやストーンズを聴くよりも、私はこちらを聴く。哀しく情熱的なメラニーのうたの勝ちと思う。女性は強い。

6th Feb 2024

関東の大雪も、ようやく高速道路が開通し、騒動が収まった。富士山麓では40cmの積雪で、気温が零下の日常だから、しばらく山荘は雪で埋もれているだろう。リスが雪の上を走り回る。冬の間だけ作る鳥の餌場に野鳥が集まり、鳥たちのケンカが始まる。鳥が意外な言語能力をもっているのは本当だ。そんな景色を見るのが楽しみだったけど、雪かきができない身体になって冬の生活をあきらめた。これから何度かこんな積雪が繰り返され、本格的な春が始まる。その間、居酒屋で仲間との楽しい会話と酒の時間も悪くはないが…。

5th Feb 2024

ネットのトラブルは突然起こる。今月に入って、メールが来ないなと思っていたら、メール・サーバーが勝手に全て迷惑メールと判定し、そのファルダーにため込まれていたのだ。判定基準の変更が原因だろうが、私以外に苦情がないから問題に気づかなかったと回線会社が言ってるけど、本当のところは分からない。というわけで、迷惑メールの設定を解除することで復帰したが、まだ安心してない。最近、メールを送られた方で、返事がないという方はお知らせください。一部不達メールになったという報告もある。以上、業務連絡でした。

2nd Feb 2024

昨日は、パット・メセニーのソロを観に、ブルーノートに行く。日経に批評を書く予定なので詳しく書けないが、驚きの演出があった。すでに公演が終末なので、書いていいと思うので、明かしてしまうが、ラストに大きなサプライズが用意されていて、後ろに隠されていたオーケストリオンが出現し、ソロ公演の大団円ということになった。メセニーは、この巨大装置とともに、今回のツアーを回ったのだ。まこと、シンプルではない大仕事の旅だった。たまたま、昨日、古いメセニー関連の原稿を読み直していたら、オーケストリオンの公演パンフの為に書いた原稿が出てきて読んでいたので、これにはビックリさせられた。この<自動演奏機械>は、いかにもメセニーならではの創作で、音の加工技術ではなく、生音を出す楽器をリアルタイムに制御するという装置である。機械が生演奏をする人間にとってかわるなんて許されることではないと憤慨して客席をたった女性ピアニストがいたけど、これは誤解、あるいは理解できなかったに過ぎない。演奏とは何か。

30th Jan 2024

世間ではAIが話題だけれども、何故かあまり興味がない。人工知能と言っても、生み出される答えは、今のところ、計算、データの速さ多さで、それだけで人間の知能は計られないと思う。昔、私の専門は、マンーマシン・システムというものだった。広くはAIの世界だけど、起源となったサイバネティックスの世界のとらえ方は、現在、さらにもっと未来の人間社会を描いていたようにも思うが、茫洋としてはっきりしなかったところが面白い。どこか音楽の世界に似ているというか、そんなことをずっと考えてきたようにも思う。

11th Jan 2024

スマホの設定がようやく一段落。Eメールのアプリが入ってなかったのにビックリしたが、何とかフリー・ソフトで使えるようになった。確かに詐欺メールの温床だけど、メールその他が一括管理されるって、<不自由な世界>と思う。これが人類の未来とは簡単に思いたくない。

7th Jan 2024

携帯からスマホに替えた。都会生活になって、タクシー・アプリなど必需品的な道具が増えたので、スマホを持つしかなかった。約10年ぶりのスマホで、さすがの性能だが、一方で情報駄々洩れで、人類は奴隷化の道を進んでいるとあらためて思った。何台ものスマホを使い分けて逃げようとしても、誰もができるわけではなく、もはやあきらめて、この道を行くしかないのだろうか。牧歌的な生活が懐かしい。牧歌的と言えば、話は全く変わるけど、ある時期、岩浪洋三さんが牧歌調という言葉を多用し、とりわけウエザー・リポートをそう表現したのを思い出した。私には、この言葉は、洋三さんにこそ相応しいと思った。岩浪さんは、出身の四国の文化風土を自慢したが、そういえば漱石の「坊ちゃん」の登場人物に居そうだ。私の結婚の祝いは、砥部焼だった。今でも使っている。岩浪さんは、私が中学生の頃、初めて手にしたスイング・ジャーナル誌の編集長で、将来こういう付き合いをするとは思ってもなかった。

1st Jan 2024

明けましておめでとうございます

24th Dec 2023

クリスマス・イヴ。去年も調べたけど、23:00の今、フライトレイダーによるとサンタ航空の橇便は、タイのバンコック上空を通過し北に向かっているようだ…。

17th Dec 2023

いつの間にか師走である。昨日近くのジャズ喫茶に遊びに行ったら、師走だけど、昔のように季節感がないと店主に言われた。初詣も何年もしてないというので、自分もそうだなと思う。晦日近くになると忙しいけど正月料理の準備でいろいろ考えるのが楽しかった。それもある年に築地に買い物に行ったら、何も買うものがなかったので、もう来年は来るのはやめようと思った。ちなみに当時暮れの築地市場は一般客相手の商売になり、さらに売れ残ったものはアメ横に流れる。ただ、この師走の慌ただしい街の雰囲気は嫌いじゃない。ジャズの友人の仲買の店に顔を出し、挨拶して帰ろうと思ったら、ちょっと待てと言われ、奥から魚の冊を持ち出し、もってけと言われた。それから市場の入り口の道具や包装関係の店先に座り込み、出された酒を酌み交わした。「もし、来年の暮れ正月は温泉で過ごそうと考えているなら、やめてくれ」と言われた。たくさんの人で賑わう景色を眺めながら、この雰囲気がたまらなく好きで、これが消えたら生きては行けないという勢いである。幕末に幕府側と討幕軍の上野の合戦を見物しようと、大川の土手に集まった江戸っ子、庶民の心情はどうだったかを何度も考えることがあるが、この時も同じことを考えた。この友人は、この後しばらくして、ビルの屋上から身を投げたと聞かされた。私は行き場所を失ったが、正月を住んでいる町から離れようとは一度も思ったことはない。

5th Dec 2023

子供の頃には、うにとかいくらのすしはなかった。海苔を巻いた軍艦巻きという形態は、魯山人がひいきにした銀座の久兵衛という店がこれらを供するために生み出されたといわれるが、そもそも生うには高価で、育った下町の寿司屋では扱わなかったんだと思う。また、当時たまごも高価で、たまご焼きは芝海老や魚のすり身で増量され、食感は柔らかな伊達巻といった感じだった。だから、子供の頃、これが全卵で作られた玉子焼きを築地のすし店で初めて食べたとき、何と贅沢で美味しいんだと驚いた記憶がある。今では昔風の玉子焼きは高価で手間のかかるすしで、滅多に食べられるものではなくなった。うにといえば、子供の頃は下関で作られた瓶入りのアルコールで練られたうにで、厚手のびんに少量しか入ってない形態に、詐欺まがいという印象を抱いた。これは酒の肴、珍味という分野に属するものだろう。実際、普段子供が口にするものではなく、高価でもあった。この瓶入りのうには、イギリス人が生うににロンドン・ジンをこぼしてしまい、それが意外においしかったという起源があるが、本当かどうか分からない。この高価なうに瓶が、ネットで恐ろしく安く売られていたので、面白半分で購入してみた。何十年振りの再会だろうか。大人になってから何度か食べていて美味しいという記憶があるが、そのときの記憶がよみがえった。間違いなくこの味だが、何で昔の半値、あるいはその半分の安価で売られているのか調べたら、材料のうにが南米産と分かった。これはすし文化の世界普及と関係があると考えてもいいけど、それ以前に日本人しか食べないうにが世界の海にあたりまえにあることに気づいた人たちがいた。つい数か月前に、たまたまジャズ喫茶のカウンターで知り合った人がいた。その人は1970年代初めにアメリカ西海岸にいて、水産関係者からうにの商品化、流通を相談されたという。で、その人は1個いくらで引き取るからと漁師に告げると、海にごろごろと転がっているうにがそんな金になるのかと驚き、大量に集めて持ち込まれたけれど、当然、食べられないもの、うまくないものもあって、その見分け方から教えなければならなかったそうだ。モノゴトのはじめというのはそういうものだろう。そして、同じようなことが、その後世界の漁港で起きていたんだと思う。結局、当時まだ20代初めの彼は、それで年間1000万以上の収入を得て帰国したという。今の感覚だと億万長者ということになるかもしれない。この証言はどこまで本当かどうか分からないけど、その当時アメリカでジャズが好きになり、今でもジャズ喫茶に通ってるというのは、多分、本当のようだ。原稿書きに疲れたので駄文を書いてみた。

25th Nov 2023

今週は何かと忙しく、月曜は浅草なってるハウスに渋谷毅、石渡明廣、外山明の月の鳥+を観に行った。メンバーとは10年以上振りの再会なので懐かしかったが、それ以上に熱い演奏と彼らとの愉快な会話が楽しかった。帰り道、杖を突く私に、お気をつけてと客席にいた婦人に声を掛けられ、一人タクシーを待つ私を見つけ、乗り込むまで付き添ってくれた意外な優しい石渡、こんな日が楽しくないわけがない。火曜日は丸の内コットン・クラブで久しぶりのジェシー・ヴァン・ルーラー、これは日経新聞にライブ評を書く予定。帰りに居酒屋でカメラの市川幸雄と一献。木曜日は日本ジャズ協会から表彰されるというので、高田馬場のコットン・クラブに。オーナーの茂串邦明と久しぶりの再会、同世代の与太話を楽しんだ。同じテーブルで海野雅威と初めての出会い。以前書いた日経新聞の評を覚えていてくれて感謝された。そして、この気鋭がかつて同じ東京下町の住人だったと聞かされ驚いた。

17th Nov 2023

書棚に一枚のメモ紙が置かれている。大分古くからで、日焼けと埃で書かれたサインも大分かすんでしまった。ランディ・ウェストンの署名で、メモ紙はホテルのものだろう。ウェストンは何度も来日しているので、いつ書いてもらったか分からない。公演の記憶がないので、急遽インタビューだけに駆り出されたのかもしれない。むろん、ウェストンには関心があった。「リトル・ナイルス」は大好きな曲だ。それもあるが、一番の関心は、モンクの書生のようなことをしていたとどこか記憶の中にあったからだ。このインタビュー記事も手書き時代の原稿だったのか発見できなかった。「リトル・ナイルス」とモンクをつなぐウェストンというだけで、いつまでも忘れないように飾ってあるメモ紙である。

12th Nov 2023

トニー・ベネットについて書き忘れた。ベネットと言えば、東京ブルーノートのオープニングを飾ったことは忘れられない。あんなビッグな人が、こんな小さなクラブで、と今でも思う。旧ブルーノートは、入るとすぐに小さなバー・カウンターがあり、その前に小さな立見席、その向こうにステージが右、テーブル席が左という配置だった。ベネットはきちんとスーツを着こみ、ステージが終わるとカウンターの前で誰かと歓談しながら休むという格好だが、それが客席からも見えた。実に贅沢である。大分経って来日した時、インタビューができた。例によってしっかりスーツを着て、胸にはチーフ。革靴も磨かれ、こんなにきちんと身繕いして迎えてくれた人は、ベネットしかいない。サンダルで短パン、シャツ姿でホテルのロビーを歩いてきたレイ・ブラウンと真逆である。むろん、これはこれでブラウンらしいと驚いたが…。ベネットとの会談は、笑顔を絶えさず、親切丁寧な受け答えで好感を持たなかった人はいないと思う。重要なのは、これが演出、演技ではなく、本当にこの人はそうなのだと思わせたことだ。きっと苦労してきた人なんだと頭の片隅をよぎった。別れ際にカメラマンが記念写真というので二人並んで撮ってくれたが、その写真は笑顔のベネットの隣のみじめな自分を見たくないので、どこかに隠すしかなかった。ブラウンのように何故堂々とできないのか…。余談だが、その後ブラウンが、演奏旅行先のどこか地方のモーテルで亡くなったと聞かされたとき、あの姿でベッドの上で冷たくなっているブラウンの姿が頭の中からしばらく消えなかった。

8th Nov 2023

 (承前) グリーンウッド・プレスという学術書の会社がある。一体どういう経路でその情報を手に入れたのか記憶にないが、その会社の日本代理店の住所のメモ紙を手に、ある夕方、皇居北の番町辺りにあった会社を訪ねたことがあった。電話でその本があることを確かめ、あわてて車を走らせたのだろう。その本とはアトランティックの4巻本ディスコグラフィーである。その会社の書庫には、ダカーポ版のペーパーバックの音楽書もたくさんあって、銀座のイエナ書店にも卸している会社と想像した。だったら、この重要な新刊も書店にあっても不思議じゃないのではないかと思ったが、多分、双方でその価値が分からなかったんだろう。帰りがけに会社の人に、これこれは絶対売れますよといくつか助言を残して帰った。そして、この会社の主な商売相手は、小さな洋書店ではなく、大学などの研究機関なのだと気づいた。毎月そうしたところに配る新入荷のニュースレターのようなものももらったが、その記述がいかにも学術的に価値があるか堅苦しい表現と無理やりの理屈を書き並べたもので、これでは情報になってないと思った。実際、この時代、ジャズのディスコグラフィーに関心がある研究者なんて存在したのだろうか…。けれど、時代は確実に変わったとしかいいようがない。こうした研究がアメリカで行われると、もはやヨーロッパの手仕事にたよるマニアの出る幕はない。とはいえ、当時個人出版されたセロニアス・モンク、デューク・ジョーダン、クリフォード・ブラウンなどのたくさんのディスコグラフィーの小冊子は、今も何故か手元にあって捨てることができない。インターネットの時代、データは確実かつ迅速に更新され、もはや遺物になったとしても、古い写真、思い出のタネなのだ。ただ、この束の中に気になる一冊があった。アトランティック最初期のデータの小冊子で、何故かこれは前出の本にはない。で、その中に歌伴をしているマル・ウォルドロンの名前があるのだ。多分、マルの最初の記録。後日、そのことをマルに聞いたら、まったく記憶がないという。けれど、しばらくしたら、そういえば、そういうことがあったかもしれないという。でも、あまり積極的に思い出したくないし意味がないという様子で、話は自然にマルがクレヨンしんちゃんにはまっているという話になり、大笑いになった。一行の記述が、一瞬、蛍のように光り、そして、再び闇が戻った。

6th Nov 2023

 (承前) 当時、ジャズのディスコグラファーの会誌のような存在が、ロンドンで発行されていた「ディスコグラフィカル・フォーラム」だろうか。活版印刷のような高価なものではなく、謄写版印刷のような軽便なもので、まだコピー機が普及してないこの時代の安手の印刷物は、私には懐かしくてしょうがない。サンフランシスコ地域の即興音楽の情報を発信していたニュースレターも同じようなものだったし、自分で作り、世界に発信するということが、簡単に可能だったし、当たり前の時代だった。さて、「ディスコグラフィカル・フォーラム」だが、これにはいくつかの個人ディスコグラフィーが、連載で掲載されていたが、一番注目だったのは、トニー・ウイリアムス(ドラマーではない)が私家録音まで追ったチャーリー・パーカー・ディスコだった。パーカーのディスコグラフィーは、この仕事を土台に、さらに別の人々の手で綿密に作り上げられたが、この時代の彼らの熱気はすごいと思う。海賊盤が出ると、これらの資料をあたって、これが出たのだろうと想像した。しかし、次々と出されるパーカーの発掘盤に、次第に面倒になったのも事実である。当時、日本でのパーカーの第一人者とされた大和明さんも、だんだん追うのも疲れるねぇ、キミはまだ続ける気?と話しかけられたことがある。実際、私がディスコグラフィーにかける時間が徐々に少なくなったのもこの時代だった。

4th Nov 2023

しばらく前からディスコグラフィーのことを断片的に書いたので、もう少しまとめて書いておく。こうしたことは歴史的にもヨーロッパが先行し、シャルル・ドロネーの1942年までのジャズ・レコードの記録をまとめた「ホット・ディスコグラフィー」が有名で、その後を継いだのがイエプセンの「ジャズ・レコード」で、これらがあればほぼジャズのレコードの全貌が分かった。ただ、これで完璧というわけではなく、重箱の隅をつけば様々な欠落、ミスがあり、それをマニアが埋めていくという作業が継続されていた。さらに、これに私家録音のデータが加わるとなると、もはや決着のつけようがない。私がこの世界に出会ったのがこの頃で、その後、私家録音の海賊盤がレコード店で売られるようにもなった。すでに海外新譜紹介のページを担当していたので、これらを紹介すべきかどうか迷いながら、最初、いくつかとりあげた記憶がある。これらのデータの交換、さらにはテープによる音源のやり取りが、世界のマニアの間で行われていたが、新参者の私はそこまで深入りはできなかった。先の海賊盤がどういう経路で作られたか分からないが、こうしたマニア間の音源の広がりがきっかけになったかもしれない。ただ、その出どころの大きなところはNYの放送録音マニア、ボリス・ローズのコレクションだと思われている。古くからローズは放送をアセテート盤で録音していた人で、そのリストをファンに公開していた。なにしろローズは、そのリストからマニアからリクエストされると一枚一枚アセテート盤にダビングして売っていたのだ。チャーリー・パーカーの放送録音にはこのローズ・コレクションがたくさんある。パーカーばかりではない。70年代までチック・コリアまでせっせと録音していたというから、不思議な人がいたもんだと思う。

3rd Nov 2023

東京に移動したが、小さな引っ越しでもなかなか疲れる。肩の筋肉が痛い。馴染みの居酒屋に2軒まわり楽しかったが、それも疲労の原因か、昨晩は9時間も爆睡した。

27th Oct 2023

カーラ・ブレイの訃報が届いた。一度インタビューしたことがあって、そのときの原稿を読み直してみたかったけど、なかなか見つからなかった。手書き時代の原稿だったのかもしれない。代わりに以下の原稿がAOLのフォルダーから見つかった。2004年のタイム・スタンプで、AOLのweb連載のひとつのようだが、詳しい記憶がない。もうひとつ、どうでもいいことだけど、このインタビューのあと、カーラは、好きだという川久保玲のコム・デ・ギャルソンの店に行ったが、高くて買えなかったと聞かされた。がっかりした一人の少女の表情を思い描いた。

***
 小さなテーブルを挟んでカーラ・ブレイと話していた。肘をつき下を向いて考え込むと、あの長いヘアのてっぺんが眼と鼻の先にある。
 「外で菜園の作業をしてると、何も考えないから、音楽のことなんかどうでもいいと思えるのね。」
 「そういう自分をふと発見すると、普段忙しく何かをしたり考えているときの方がウソの時間に思えることがありませんか。」
 また、カーラは考え込む。
 「それはそうだわ。生きているということはとても単純なことで、突然音楽が自分の中から消えても困ることはないと思う。そう思って見回すとどうでもいいようなことが一杯あって、こないだNYタイムスの日曜版があまりに厚く無駄なことだと気づいて、嫌になって契約を止めたわ。(笑)」
 まるで禅問答のようなインタビューになってしまった。後で通訳の人から、とても面白く、今までで一番ファンタスティックなインタビューだった、あれであの人は仕事になったのだろうかと言っていたという。

 そんな遠い記憶が甦ったのは、去年の久しぶりの彼女のオーケストラの新作『ルッキング・フォー・アメリカ』を耳にしたときだった。アメリカと故国カナダの国歌を様々に変曲した組曲が素晴らしく、カーラは怒っていると直感した。譜面はすでに911以前に出来ていたので、最近のことと絡めて聴いて欲しくないそうだが、実は怒りはその以前からあったということだ。アルバムの最後はお馴染みの子供の歌「マクドナルドじいさん(は農場をもっていた)」で、これは1999年の地域に根ざした農業を主張するジョゼ・ボベらフランスの農民がハンバーガー・ショップを襲撃した事件との関連しているに違いない。世界企業化する農業と食生活、反テロを理由にしたグローバルな戦争、現在のグローバリゼーションの流れは決して人間を幸福にさせないと、カーラはこれらの音楽の裏側で主張している。
 むろん、そのオーケストレーションは、素晴らしく手がこんで彼女の代表作と言ってもいい。政治と音楽は関係ないかもしれない。でも、カーラは、菜園での時間の中から、何食わぬ顔でしっかり音楽も実らせた。
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21st Oct 2023

紅葉の真っただ中だが、急に寒くなった。近くの測候所によると3度Cで11月半ばの気温だ。ちょっと早い。急いで東京への引っ越し、移動を考えている。それはそうと、前回阿部克自さんのことを書いたが、阿部さんとの面白い話をひとつ書いておきたい。1970年代半ばのことで、知り合って間もないころ、別にファンだと言った記憶がないのだが、阿部さんから秋吉久美子のサインを頂いた。大きな白い模造紙に、日にちと時刻を記した時計などのいたずら書きと彼女のサイン、そして真ん中に大きく「あべさんのお友達へ!」と書かれていた。私の名前はどこにもない。阿部さんは、これを見るたびにオレを思い出すだろうと笑いながら渡された。この模造紙は、彼女のポートレイトを撮るために背景として準備したのだが、何やら阿部さんのくわだてにのって幼児のようにいたずら書きをしたのだ。これもデビュー当時の彼女らしい。複雑な思いをしながらも、長い間部屋の壁の真ん中に貼って楽しんでいたけど、引っ越しの慌ただしさでどこかに喪失した。阿部さんらしいジャズらしいユーモアとして忘れられない。

19th Oct 2023

悠さんは、意外な経歴の持ち主で、これはあまり知られてないと思うので書いておく。悠さんは北村英二のボーカルでもあった。大分経って自費出版で、『YUH SINGS FOR YOU』というアルバムまで作ったが、ここには北村さんも参加していて、珍しいことにソプラノ・サックスを吹いている。多分、これが唯一の記録だと思う。当時、エリック・ラーベンによるある大きなジャズ・ディスコグラフィーのプロジェクト(残念ながら途中で頓挫)があって、原稿が世界に回され、日本のメンバーの一人として、それをチェック、加筆する役を担っていたが、このアルバムのデータを書き込んだのを覚えている。そして、捕捉として、他の作品は我々の関心外であるといったコメントをわざわざ付け足した。というのは、悠さんは、かつてクラウン・レコードからポップのEPを三島たけしの名で出しているからだ。これは岡崎正通さんがコレクションしているが、聴かせてもらったことがない。なにやら、「マコ〜」とかいう詞の歌で、その話題で悠さんを囲んで楽しく盛り上がった思い出がある。自費出版のライナー・ノートは、新宿オザワ・レコードのすえむら善行さん。通称すえさんのところに行くと、佐藤秀樹さん瀬上保男さんなどたくさんのジャズ関係者がやってきて、楽しい時間を過ごした思い出があるが、悠さんの件はその中のひとつだろう。もうひとつ、このレコードで、悠さんの親友阿部克自さんが、これは友人に買ってもらうんじゃなく、プレゼントすべきだろうと怒っていたのを思い出した。考え方は人それぞれと思った。悠雅彦さんのご冥福をお祈りします。

(追記)

この文へのメールを早速頂いた。悠さんのアルバムはもう一枚あるという。引用してもいいと思われるので、次に教えていただいたジャケット写真が載ったアドレスを紹介;https://twitter.com/Sightsongs/status/1714292476570480691

私の山暮らしが本格的に始まったのがほぼ10年前で、その後に出されたのかもしれない。東京とのパイプも細くなり、私はまったく知らなかった。

18th Oct 2023

悠雅彦さんが数日前に亡くなったという。前からホームで暮らしているという話を聞いていて、人と会うこともなかったようだ。最後に会ったのは、どこかのコンサートだと思うけど、はっきりとした記憶がない。酒の場を好まなかったようで、酒場での思い出がない。何かの会の後、一度無理やり誘って青山で呑んだことがあった。岩浪洋三さんもいたかもしれない。珍しいメンバーの何とも楽しい会で盛り上がったけど、酒の場の楽しい思い出がそれしかないので残念でしょうがない。

3rd Oct 2023

ストーブを頻繁に点けるような山の気候になった。長袖のシャツが必要で、それだけではなくもう一枚羽織るものも欲しい。そうなると寒いのは嫌だなぁと思うより、これが普通なのだと気持ちが切り替わるのが面白い。変化は億劫だが、それが過ぎると新しい状況が快適に思えてくる。秋の日差し、穏やかな気候を楽しみながら、明日はベランダで久しぶりにコーヒーの焙煎をやろうか。手元にある熱源はキャンプ用のストーブしかないけど、何とかなるだろう。

29th Sep 2023

中秋の名月だけど、雲で見えない。中華菓子に月餅というのがあって、これは日本でも馴染みがあるけど、中国ではこの日に食べる菓子で、日本の月見団子に当たるようだ。けれど、最近の経済的混乱で今年の中国での月餅の売り上げが激減という。つまり、それほどこの混乱は庶民に打撃という話だが、本当はどうなんだろう。それはさておき、月見とススキと団子は、子供の頃は絵本などで親しんだ光景だけど、いつの間にか廃れてしまったようだ。何年か前、懐かしくなって、白玉団子を作って、その光景を再現したことがあったけど、前回書いたように、寒さに耐えられなくて、あわてて家の中に避難するということがあった。今年は雲がかかって、気温も16度とそれほど寒くない。けど、やはり満月を見たかった。宇宙時代だけど、この懐かしさは消えない。

13th Sep 2023

先週は久しぶりに数日東京で過ごした。病院の定期健診、ライブ鑑賞、そして、気の合った連中との呑み会だが、やはり暑さに悩まされた。クーラーの調子が悪く、それも東京に居られなくなった要因だ。山に帰ると、今度は寒さに対応する必要が出てきた。東京から離れた日は、ようやく涼しくなったという声を聞いたが、山では気温が20度を切り、肌寒い秋の季節なのだ。季節の変わり目は早く進んでいく。道路に面した胡桃の実が落ち、車が通るたびにパンパンと胡桃をつぶす音が鳴り渡る。あと2週間たつとお月見になるが、外で満月を楽しむというより、寒くて部屋戻り、ストーブを点けたくなる。暑さも我慢できないが、寒さにも弱くなった気がする。東京に戻るのも早いかもしれない。

25th Aug 2023

先週末、家に隣接する大きな桜の樹に落雷があって、冷蔵庫、tvチューナーの電子基板が破壊された。直ぐに代替え品を手配したが、未視聴の録画が実質消えたり、溶けていく冷凍食品の対応で大騒ぎとなった。田舎なので落雷は日常なんだけど、まさかこんな近くに落ちるとは思ってもみない。最近、辺りの樹が開発で伐採されているので、それが原因かもしれない。樹の成長は早い。昔は、富士山頂が見えたが、だんだん見えるところが限られ、また、倒れる危険もあるので、周辺では伐採がブームなのだ。さて、問題はインターネット回線である。コンピューターは、それなりの雷防御コンセントにつないでいたので大丈夫だが、インターネットはつながらなくなった。光信号の変換器か家中に電波を送る機械がやられたかと思ったが、両方ともしっかり電気は入る。再起動を繰り返しても動かない。最後に回線業者の窓口に電話で相談したら、あっという間に解決。担当の相談員から次々に指示され、再起動を繰り返しテキパキと確認作業を経て、最後にこれまでとは違う設定を指示され実行したら、見事に開通した。担当は若い女性だった。これが一番の痛快な驚きだった。

11th Aug 2023

スイング・ジャーナル誌の海外新譜紹介の連載がいつ始まったのか、手元にその記録がない。調べれば分かることだけど、記憶も薄れている。ただ、この突然の依頼は、大いに慌てさせた。当時学生で、持っていたレコードも20枚位だったが、アルバイトしてコレクションを増やそうという気もなかった。それよりも、海外の本はレコードより安いので、そちらに関心があり、当時銀座のイエナ書店にあったシュワンのカタログやイエプセンのディスコグラフィーなどを買い、楽しんでいた。だから、レコードのことは詳しかったと思う。そんなわけで、当初は、編集部から個人ディスコグラフィーを作ってもらえないかという依頼から始まった。それでいくつか作り始め、また、発表もしたが、厳密に言えば、当時の作業はまったく学術的なものではなく、資料からデータを拾い集め並べたものにすぎない。そのディスコグラフィーのページが人気だったのは、資料にはないジャケット写真の掲載が欠かせなく、むしろ、そちらがファンの関心を集めたと思う。おおまかに言えば、当時はジャズ・ファンがコレクター化した時代だ。毎年、約1000枚のレコードが発売され、新作もあるけど復刻アルバムも多く、それがジャズのマーケットを潤していた。

7th Aug 2023

しばらく前のことだが、トニー・ベネット、ペーター・ブロッツマンが亡くなった。ブロッツマンは、本格的にジャズとの関わりが始まった頃、関心をもったミュージシャンだった。というのは、突然私に与えられた初めての仕事は、3ページもの海外新譜紹介記事で、これは対抗誌の目玉となっていたものに対応し急遽生まれた企画だった。他誌のその記事が注目されたのは、いわゆる前衛ジャズだが、とりわけヨーロッパでの前衛ジャズの動きが話題で、そんなわけでにわかにその世界もあらためて勉強することにした。にわか勉強でいいのかと不信に思われるかもしれないが、当時はそういう時代だったというしかない。ドイツのFMP、オランダのICPが順調にアルバムを出し始めた頃だけれど、まだ、10枚くらいだったと思う。ブロッツマンは、その当時のFMPの中心人物だが、私にはそんなに難しくない演奏家で、テナータイタンというニックネームに相応しい豪放磊落などこか楽しい人物という印象があった。インプロバイズド・ミュージックという言葉もまだなく、ブロッツマンもフリー・ジャズと言っていた。まだ、ベルリンの壁があった時代の話である。

2nd Aug 2023

暑い日が続く。7月初めに東京の暑さを逃れ、富士北麓に移ったが、熱帯夜が続く東京に帰る気がしない。こうなると地球温暖化説が勢いを増すけど、国連が言う地球沸騰化説は、地球全体が熱くなってるイメージで、これはまるで陳腐だ。確かに東、東南アジアは暑いけれど、今、ヨーロッパは冷夏が話題で、パリに住む友人は、バカンスなのに連日雨で寒くて行くところがなく、映画館が満員なんだそうだ。確かにパリの天気を調べると、今日も雨で、最高気温21度、最低気温16度と東京やここ富士山麓ともまるで違う。ロンドンもほぼ同じ。世界を体感するのは難しい。だから面白い。

7th Jul 2023

七夕だけど曇天。草を刈ってくれた人からタケノコを頂いた。季節がら真竹なのだろう。真竹を処理するのは初めてなのでどうしていいか分からなかったが、普通に炊いて明日料理に使おうかと思う。都会暮らしだと当たり前の食材しか手に入らないが、歴史からすると、むしろ、それが異常なことなのだ。現代社会は、冷凍食品を筆頭に様々な新しい食物が開発され、人類の未来を描いているが、おそらく人体も変わっていくのも当然と思う。未知の領域とどう整合性を保っていくのだろう。10数年前のドラえもんの春祭りの映画主題歌「手をつなごう」に、「永遠ってコトバ、あるのかな? 未来を思うと怖くなる」という歌詞があったが、未来は本当に分からない。ただ、永遠はない。社会生活を営む人類の見果てぬロマンとして確かにある。

23rd Jun 2023

何十年振りだろうか。そういう曖昧な数え方しかできないほど年月が経ってしまった懐かしい人と再会した。かつて日本コロムビア・レコードで、ベターデイズ・レーベルのA&Rを担当していた斉藤有弘さんで、高校の友人が偶然斉藤さんの大学時代の友人というつながりで、この不思議な再会が実現した。昔話はむろんのこと、今のこの世界はどうなっているか等々、堆積した時間が、むしろ記憶の澱を溶かし流すように、新しい今の言葉が愉快に飛び交った。偶然入った居酒屋での3時間が過ぎ、次の店に行こうと外に出たが、金曜日の給料日の後の飲み屋街は、どの店も満杯で、華やかな光の洪水と群れ動く人々の光景に、「まるでブレードランナーのようだ」と斉藤さんが呟いた。

20th Jun 2023

昨日の朝、アントニオ・サンチェスのライブ評を急遽書き直して日経新聞に送稿。先週末に書いたものだが、時間をおいて読み直していると新しい考えが浮かんだ。こういうことはよくある。昔から作家は自分が書いたものの読者にはなれないという言い方があるけど、夢中になって作文していると、勝手な自分の世界に閉じこもって外に出られなくなる。朝書き直した文章も同じなわけで、むしろ、勝手さが増加したのではと不安になり、引き返したくなる。けれど、つまらなさ、間違いはもっとはっきりしているので、もう戻ることはできない。今日、編集者から返事が来て、そのまま校正の手が入り返された。フッと息をつき、自分を取り戻す。この間、山荘に移動。Tシャツでは寒い気候で、あせって長袖のシャツを忘れてしまった。

19th Jun 2023

最近、毎日のように中国から幼稚な詐欺メールが届く。被害はないと思っていたら、私からのgmailへの送信がキャンセルされることが判明。gmailのセキュリティが強化されたあおりで、私のインターネット・メール・アカウントが不審な送信元に登録されてしまったようだ。使っている大手メール・サーバーが、早速対応に動いている(トラブルは私だけではない)ようだけど、なかなか埒が明かないようだ。不便はgmail宛の送信だけならいいけど、他のサーバーにも拡散されると困るので、急遽gmailのアカウントを復活させた。以上、つまらない業務報告でした。

13th Jun 2023

平田王子さんから届いた新作の『雨あがり』をようやく聴くことができた。平田さんによれば、これがおそらく松風鉱一の最後の録音だろうという。昨年6月、山中湖のスタジオで録られた。松風はテナー、ソプラノ、そして、フルートを吹いている。どれも松風だなぁとあらためてその世界を思い出させた。音は、やはり生々しい。記憶の中の思い出をかき消してしまう。

23rd May 2023

久しぶりに浅草のなってるハウスに行った。平田王子、渋谷毅のデュオで、松風鉱一のことを誰かと話したかったからだ。なってるハウスは何年振りだろうか。10年振り以上かもしれない。渋谷さんとの再会もそれに近い年が経ってしまった。昔、自転車を乗り回していた頃、ここは夕食後のコースで、知ってるミュージシャンの日は、何度も遊びに行った。駒形橋まで隅田川沿いを北上し、最後の閉店後の閑散とした合羽橋商店街のまっすぐな一本道を思いっきり走り抜けるのが楽しかった。同じ道をタクシーで辿り、車窓からの懐かしい夜の街の風景にちょっと泣けた。

15th May 2023

松風鉱一が亡くなったのを知った。3月末のことだというが、癌で入院して翌日には他界したという。仲間には闘病していたことを話してたようだが、直前まで活動していたから、皆、びっくりしたようだ。いろいろ思い出すことがあるけど、どこで最初に出会ったのか、すっかり忘れている。一番古い記憶は、突然松風から電話があって家に遊びに来たことだ。1970年代末か1980年代初めの頃だった。何故年代がわかるかというと、帰りがけに、ダグラス・レコードのカサブランカ・レーベルで出されたロフト・ジャズのオムニバス・ライブ・シリーズ、ワイルドフラワーズをワンセット、プレゼントしたからだ。これが出されたのが1977年で、オリジナル盤と日本で出されたときの視聴盤の2セット持っていたので、そのセットを持ち帰ってもらった。ただそのとき、松風はいわゆるフリー・ジャズとは一線を画していることはぼんやりと気づいていたから、どうなのかと気になったことも覚えている。そんなことがあったけど、その後、頻繁に松風と会っていたわけではなく、ライブハウスで立ち話をしたくらいである。松風はジャズ・ミュージシャンでは気さくな人柄で、私を見つけると長年の友人のように笑顔で話しかけてくれた。音楽を聴けばわかるが、好奇心、探求心旺盛な人で、世界と冷静に向き合うようにして、独自に音楽を掘り下げた人生だったと思う。最後に話したのは何故か電話で、東南アジアの未知の土地を訪ねる旅にはまっているということだった。

24th Apr 2023

季節の変わり目で、やはり山のことが気になる。村役場にでむかなければならないことがあったので、日帰りで山荘に戻ったら、運よく満開の山桜を観ることができた。地上にはスミレの青やたんぽぽの黄色い花、楽しい。けど、寒い。

17th Apr 2023

テスターを買った。人生で何台目かと思い出そうとしたが、あんまり意味がない。何に使うかと言えば、乾電池のチェックがほとんどで、あとは適当に電圧、電流、それと抵抗値ぐらいしか思いつかない。今までのは全部アナログ式だったが、今はそういう時代ではないので、安価なデジタル式を購入。それでいろいろ測定範囲が広がったが、電子回路はいじらないので用はない。最近は爆弾犯まで電子回路を使うようだけど、関心がないし必要もない。使い古しの乾電池をチェックしたら、いくつか使えるのが出てきた。

14th Apr 2023

ここ数日、仕事部屋の蛍光灯が寿命が来て、取り替えられないまま夜は手元のバッテリー式LEDランプでしのいでいる。山暮らしでは、停電が起こることを予想し、普段から灯油ランプなどいろいろ準備していて、実際、強風で電線が切れ、電気が途絶えても慌てることはなかった。電灯がなかった時代を思えば、こんなことどうということはないと思うのだが、社会インフラが充実している現在は、災害レベルの対応をしなければならなくなった。実際、ニューヨークの大停電のとき、店が襲撃され、何千人もの逮捕者で手錠が足りなくなったという話があった。現在のライトアップやイルミネーションのブームは、平和な時代の忘れられた郷愁なのだろうか。暗い部屋で小さなLEDランプの光でキーボードを打っていると、どこか安心する自分がいる。元々世界は闇なのだ。

20th Mar 2023

Pヴァインから『ニッポン人のブルース受容史』という本が届いた。一年ほど前、「ザ・ブルース」誌に以前書いた原稿の再録依頼があって、ようやくそれが完成したということだ。大判書籍で370ページ、4200円。タイトルが堅苦しいけど、内容はその通りで、ブルースの専門誌に収録された記事を再読しながら、そのときどきの出来事やそれをどう受け止めたか、その歴史を振り返るというものである。私はビ・バップ・ボーカルについて書いた。ディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーの録音を辿ると出会う普通は取るに足らないものと無視される黒人エンタテインメントの世界で、それはどういう意味なのかと考えた文章だ。読み返してみて、自分ながら努力賞もので、当時の自分をほめてやりたいと思う。このテーマを思い付き、私にぶつけてくれた彼らに感謝である。貪欲な編集者と簡単にこたえが見つけられない凡庸なライターの闘いでもあった。

9th Mar 2023

ウェイン・ショーターの訃報に何か書かねばと思ったまま、時が過ぎてしまった。これは余談だけど、最近、アメリカのメディアの訃報記事も有料になって、詳しい情報が簡単に手に入らなくなった。これは日本も同じだけど、紙媒体はネットとの戦で負けだと思う。これだけではなく、世界のメディアがどんどん迷走し、信用できない情報が蔓延し、本来の機能を失ってしまっているが、こんな時代になるとは思わなかった。さて、ショーターだけど、最後の来日のあと、活動を休止しているのに気づいたのは最近のことだ。自分もダメージに襲われたから、気づかなかっただけだが、その最後のハンコック、スポルディング、キャリントンとの公演で、自分が書いた新聞でのレビューを読み直してみると、やはり、あまり満足してない記憶がよみがえった。自分にとって最高にスリリングだったのは、『フットプリンツ』以後のレギュラー・カルテットだが、その前の『ハイ・ライフ』も大好きだった。当時、飛行機事故で妻を亡くし、不幸のどん底だったけど、それでも日本の公演をキャンセルせずに演奏活動を継続したことも思い出す。当時は、何故かインタビューの仕事で何度か会っていて、以前よりも話が饒舌で人が変わったという印象もあった。『ハイ・ライフ』を傑作と思ったのは、その前に、実は映画音楽の仕事をしたいのだと聞いていて、このアルバムはかたちを変えたショーターの想像力の夢の実現と思ったのだ。ショーターは大のSF小説マニアであることは重要だ。このアルバムは、ショーターのフュージョン作品といった評価もあって、一般的に低く評価されたけど、当時、ベースのデイブ・ホランドとのインタビューで、このアルバムは素晴らしいと意見が一致し、楽しい時間となったのを思い出す。ホランドは、ニューヨーク・タイムスのアルバム評に激怒し、すぐに反論の投稿をしたと言う。何しろジャズの歴史に残る傑作というのだ。それで話がのって、サークルの顛末まで詳しく教えてくれた。海賊の末裔なのだろうか、音楽の印象とは少し違う熱血漢のホランドだった。さて、『フットプリンツ』以後のグループ演奏だけど、これらはホランドの言葉を使わせてもらえば、ジャズの即興の歴史を塗り替えた世界だと思った。フリーだとか勘違いする人もいるけど、すべてアウトしても通常運転が成り立つ不思議な世界がここにある。

7th Mar 2023

久しぶりに河口湖に戻ったら、駅周辺が海外からの旅行客でごった返し大変なことになっていた。コロナ以前に戻ったという以上の賑わいかもしれない。一方、東京の夜は、それほどの賑わいではなく、国内の消費意欲はまだまだ回復していないようだ。聞くところによると、これは物価に関係しているという。かつては世界一の物価高の日本が、今は最低の物価だという。これは日本に行くといいものいいサービスが安価で手に入るということだ。今、ソウルのコーヒー代1000円、ランチ2000円と聞くと、海外旅行の意欲が減退するのは当然だろう。そういえば、河口湖に溢れていた若いアジア人は、手軽に海外旅行を楽しむ韓国からの新しい若者たちのような気がした。富士山に驚嘆し、うまくて安い日本のファスト・フードを楽しむ。かつてバブル期に日本の若者が海外で経験したことである。

24th Feb 2023

遊び心を動かされ掌に載る小さなコンピューターを買った。まだ動かしてないので、何とも言えないが、仕様通り動けば大したものだと思う。こういうものを手にすると中国の若い技術者の力に感心する。むろん、高度な技術ではないので、日本でもできるはずだが、工業製品は、消費者が必要とするものを見極め、製品として落とし込むデザイン能力が大切だけど、下請けとして様々に学んできたことが、こうした製品作りの確かな土台になっているのだろう。むろん、コストダウンのために危険な仕様になっているかもしれないが、それはいずれ消費者の仕返しが待っている。

14th Feb 2023

タンノイのスタジオ用モニター・スピーカーをTV用に使っているが、低音がそこまで出なくてもいいのに、というぐらい出てくるのでいささか困惑している。これは現代の音楽と関係してるのだろう。ディスコ・ブーム以来、家庭では不可能だった重低音への憧れが身近なものになって、こうした音響環境も容易に手にすることができる時代になったのだ。しかし、TVを観ていると、これは音響技師がコントロールしているのかと疑うほどの無秩序ぶりにあきれてしまう。花火の爆発で重低音が出てくるのはいいとして、会話でこもった重低音を聞かされるのは苦痛に近い。技術の進歩は、同時に容易に混乱を引き起こす。TV付属の小さなスピーカーに戻すことも考えているが、そうなると小さなセリフが聞こえなくなるのを我慢するしかない。技術は身の丈にあったものがいい。それを作るのがプロの仕事でもあった。むかし、黒人たちがそうだからと、ラジカセで試聴するソウル評論家がいたが、なるほどと思った。

26th Jan 2023

ドコモのカード携帯のバッテリーがいよいよおかしくなり、ついに使用を断念、新しいのに交換した。予想通り電話帳のプログラムが使いにくく、簡単に移植できない。携帯の電話帳は機種によって様々なフォーマットがあって、統一した規格がないから、修正して取り込まなくてはならないけど、これは普通は無理だと思う。スマホはそういうことはないけど、簡単に誰かさんに抜かれてしまう。

16th Jan 2023

先日、久しぶりに富士山麓に帰った。暖かい日を選んだが、さすが山は寒く、気温はマイナスの世界に下降した。昨年までは、そんな気温はまだ暖かいという認識で、1日中マイナスが冬の日常と覚悟していた。けれど、東京の暮らしは、そんな感覚をいっきに破壊する。夕方、気温が急降下しマイナスの世界に入ると、耐え難く慌ただしく荷物をまとめ、帰路に就いた。むろん、もう一枚防寒着を着ればすむ話なんだけど…。

7th Jan 2023

年末から製麺機で遊んでいる。以前から手ごねでパンを焼いたり、うどんを打ったりして遊んでいたのだが、その延長で機械にも興味があったので、暮れに家庭用の製麺機を購入してしまった。家庭用だから動作は簡単で、捏ねるのも製麺するのもスクリュー式で粉を混ぜ、加水し、圧を加え、目的の作業を仕上げる。生地を伸ばすという工程は省かれるけど、そこを省いても製麺できるというのが、この機械の面白いところだ。で、これができるなら、肉をミンチにしてソーセージ・マシンにもなるんじゃないかと素人の機械マニアは勝手に発想するけど、ま、そこまでは考えなかったようだ。できあがった麺は、意外にイケル。ただ、捏ねる時間をもっと長く設定するといいと思う。簡便さは確かに重要だけど、マニアは細かい質にこだわる。使用材料に至っては、粉文化には際限のない世界があって、そこを考えるのも楽しい。

1st Jan 2023

新年あけましておめでとうございます。

24th Dec 2022

今日はクリスマス・イブ。寒いので外には出ない。窓を開けて空を見上げることが、山の生活より多いと気づいた。都会の空の方が景色がいろいろで面白いのだ。鳥を観るための双眼鏡を山に忘れたのが残念。遠くのビル街の点滅するたくさんの赤い灯。夜の都心に飛行体はないのに。山では大きな旅客機、貨物便が通る音が聞こえ、それがどこに行くのか調べるのが楽しみだった。ここではそれがない。ちなみにその飛行機の検索サイトを今見たら、公式の航跡の記録はないが、サンタ航空橇便が飛び交っているとのこと…。

10th Dec 2022

トーメが才能溢れる人だということはよく聞かされていた。いろいろな仕事をした人で、音楽のことはここでは書かないが、俳優だったり文筆家だったことも知る人ぞ知るである。トーメに会ったとき、確かめたいことがあって、TVのルシール・ボール・ショーに出たのを子供ころ覚えていて、2度見た記憶があると言ったら、4とか5度出たと(私の記憶が曖昧)即座に返事が返ってきて、この明解でスピード感がこの人の頭の良さなんだと納得した。友人のバディ・リッチの本を出版したあとだったので、それも話題にしたら、もうすぐ完成するけど、ペン・ネームで書いたミステリーも次に出ると言った。その著者名を教えてと聞いたけど教えてくれなかった。その分野で2冊目というが、ウィキに記載がない。トーメはその本を出す前に亡くなったようだ。原稿はどこに行った。

4th Dec 2022

久しぶりにオーチャードホールの渡辺貞夫のクリスマス・コンサートを観に行った。師走の渋谷の街を通り抜けるのも久しぶりで、そして、人々がたくさん集まる表参道、丸の内の賑やかなイルミネーションの傍らを通り抜けると、ああ、東京に帰ってきたんだと思う。今晩のアンコールは、メル・トーメの「ザ・クリスマス・ソング」だったが、こんな風景にぴったりのメロディーだ。昔、トーメにインタビューしたとき、これは真夏に作ったんだと笑った。よく知られたエピソードだ。そのときトーメは、ネイビーのラルフ・ローレンのジャンパーを着て、ふらりと現れた。秋だったのかもしれない。

3rd Dec 2022

12月になって、寒さが厳しく、山荘での活動が億劫になった。まだ運びたい道具などがたくさんあるけど、諦めるしかないかもしれない。職人の仕事部屋を見ると、たくさんの同じような道具があって、汎用のものは、むしろ少ないのだと思う。では、思考の道具箱のようなものはどうなのか。頭にすべてあると言いたいが、忘れていたヒントのような大切な道具をいつも捜している。

16th Nov 2022

山と東京の間を行き来していて、落ち着かない毎日が続いている。気温が約10度の違いがあるので、春と真冬の寒さの繰り返しの日々で身体が慣れない。けれど高速道路から見る紅葉の景色は楽しい。それに寒いけど空気はきれいで、都会の濁った空気に入るとうんざりし慣れたくないと思う。でも、そういう暮らしをずっとしてきたわけで、いずれその楽しさに浸ってしまうのだろう。けれど、それは本来の人間の感覚ではないと、この10年の山暮らしで経験したことが身体のどこかに残る気がしている。

24th Oct 2022

冷たい雨が降っている。近くの測候所の記録だと、0°c近くで、もしかしたら今季初めてマイナスを記録するんじゃないだろうか。明日は見事に雪化粧した富士が見えるだろう。しかし、まだ、10月である。先週東京の家の近くの神社で七五三のお祝いが賑やかだった。正式には11月15日だが、祝いには寒すぎると思う。神社も前倒し歓迎で、店もたくさん出ていた。田舎は律儀な社会なので、果たしてどうなのだろう。

20th Oct 2022

携帯の電池が弱くなって2日持たない。各社が3G電波を停止したけど、ドコモだけあと数年維持するそうだから、古い携帯で使えるのがないか試してみた。買っても常用しなかったのが二つあって、何でダメだったかというと、共に電話帳が使いにくかったからだ。電話帳というのは当たり前の機能だけれど、機械のオペレーティングシステムが違うと、いろいろやっかいなことが起きる。簡単に言うと電話帳の移動が容易ではない。もともとファイル形式が違うし、通信手段も違うから、それを合わせるのがとてもやっかいなのだ。使える機械が4つあることが分かったが、それぞれ見事にシステムが違うので、それに合った方法を見つけなければならない。結局1日かかって、それぞれの機械に電話帳をコピーし完成させたが、最後に決めたのは、結局、今のドコモのカード型携帯が壊れるまで使うということになった。結局、時間の無駄か、いや、たのしい時間だった。

10th Oct 2022

河口湖と東京の行ったり来たりの日々が続いている。10年振りの高速道路の運転は緊張したけど、大きな道路の変化はなかったので、すぐに慣れてしまった。ただ、自動車の暮らしは、東京は大変不便とあらためて痛感した。田舎暮らしは自動車が必需品で、90歳を超えても自動車免許の更新が行われる。むろん、そういう老人が東京の複雑な高速道路を運転するのは怖くて自信がないだろうが、勝手知った田舎道なら、生きるためだから当たり前に運転する。当然駐車場も用意されているから自転車と変わりがない。50m先の移動でも車を使う。都会はそうはいかないから、よく歩く。私にはそれが簡単ではないから、都会生活はすごく不便な暮らしに変わる。

19th Sep 2022

今、日本を通過中の台風14号は、別名ナンマドルという。これを知ったとき、ちょっといやなことを思い出した。ライナーノーツの仕事を始めた頃に書いた一枚にフィンランドのドラマー、エドワード・ヴェサラの『ナンマドール』(ECM)があった。今もそうだが、ECMは最小限の情報しか出さないから、こちらでいろいろ調べなければならない。そこで北欧の大使館や情報センターなどにかけあって教えてもらうことが多かったのだが、このアルバム・タイトルに関してはまったく答えがなかった。それもそのはずで、ナンマドルは、ミクロネシアにある人工島で構成される考古遺跡で、その規模はオセアニア最大と言われる。むろん、昔からその存在はその世界では知られていたが、詳しい調査が入ったのは1960年代以後で、世界遺産の登録は2016年、同時に危機遺産リストにも登録された。今思うと悔しいが、このことをまったく知らずにライナー・ノートを書き上げてしまった。ただ、この作品が発表されたのが1974年で、逆に振り返ると、ヴェサラは、どのような経緯でこの遺跡のことを知ったのだろうと聞いてみたくなる。ミクロネシアの独立は1986年だが、1974年のこの年、この遺跡は、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されている。そして、もっとも重要なのは、ヴェサラがこの遺跡にそれほどまでに関心を抱いたか、その理由だろう。その答えは一つ。フィンランド人のルーツ探しなのだろうと思う。彼らは東方からやってきて、ウラル・アルタイの山を越え、フィンランドの地に着いたという説(語族的な親族関係の説によるが現在は否定的)がある。このアルバムの解説で書いたのは、このファンタジックな音楽の背後のどこかにそうした遠い昔の人々の漂流の記憶のようなものを感じるといったまったく想像の世界の話でしかなかった。もし、「ナンマドール」が何であったか知っていたら、もっと説得力のある文章が書けたかもしれない。いやそれは逆で、知らなかったからこそ生まれた想像力の産物でもあった。いやな思い出でもあるが、実は懐かしい楽しい思い出でもある。

18th Sep 2022

先週、3日ほど東京にいた。久しぶりに東京の暑さに包まれ、体調も変化した。冷やした麦茶が美味しいと忘れていた夏の生活を思い出した。山の暮らしでは、麦茶を一度も作ったことがない。山に帰ったら、今度は寒さを思い出した。ストーブはつけなかったが、もしもと思い電気毛布の用意をした。20度を切ると、一転して防寒の準備をしたくなる。

3rd Sep 2022

東京での暮らしのため、少しづつ道具をそろえているが、一体暮らしのための道具とはなんだろうと改めて思う。昔、「坂の上の雲」というTVドラマで、秋山好古、真之の兄弟の東京暮らしで、茶碗一個、箸一膳という暮らしぶりが出てきて、合理主義とはこういうものだと感心した。確かに二人で順に使えば、これで食事の用は足りる。昔、キャンプ道具でひと夏一人暮らしをしたことがあった。リュックに道具を詰め込んだが、使ったものは限られた。火器と飯盒とナイフとはし。食材といくつかの調味料があれば、それで十分なのだ。そうそう茶を飲みたいと思ったが、茶漉しを忘れた。大失態だった。小さなやかんで沸かした湯ばかり飲んでいた。

24th Aug 2022

夜、どこからか虫の声が聞こえた。秋になったのだろうか。そういえば、暑さも和らぎ、穏やかな気候が続くと、ふと秋の気配が微かな風に乗って伝わってくる日がある。まだ、葉は落ちていない。それはずっと先のことだけど、こんな穏やかな日々こそ、確実な未来を教えてくれる。

15th Aug 2022

10日ほど前、小さな段差を踏み外し、利き足の右足首を軽くひねってしまった。その後徐々に回復しているが、おかげで仕事部屋がある2階に安心して上ることが、まだできてない。ひねった痛さをかばうことが、筋肉の衰退につながっている。無重力で暮らした宇宙飛行士が地上に降りたとき、皆、タンカで運ばれる。足腰が地上の重力に耐えられない弱った筋肉になっているからだ。重力に抗い一段一段上がりながら、私もそうなんだとがんばるしかない。

27th Jul 2022

一週間に一度リハビリのマッサージを受けに行く。今の担当者は、かなり強く押してくるので、ときどき痛くて悲鳴をあげる。すると、ここかとばかりにその個所を責めてくるからたまらない。しかし、こういう治療は嫌いではない。終わってみると、気のせいか楽になっている。なかには強いマッサージは、意味がないという人もいる。実際、なでるようなやり方で、アレっと思う効果を生み出す神がかり的な技をもつ人もいる。人間の身体は実に不思議で分からないことだらけなのだ。逆に言えば、この解かれるべき未知の謎の固まりは、絶好の人間の好奇心の対象だ。たとえば、面倒な数学の問題をどう解くか。鍵を見つけると遠回りしても強引に計算し解こうとするのが、強く攻め立てるわが担当者のやりかたで、でも一方で、もっと簡単な美しいやり方もあるのだろうと、彼はウスウス気づいてもいる。解く歓びは人それぞれ。

11th Jul 2022

再び、買い物帰りに安倍宅の前を通りかかった。前を走っていた車が、突然門扉の前で停車したので、避けながら一瞬確認しただけだが、門扉にたくさんの小さな花束が並んでいた。いつだったか近隣の住人の家からペットが行方不明になり、辺りにたくさんの捜索願の張り紙が出された。それを見た安倍夫人がSNSを発信、拡散し、数日で保護されたという出来事があった。この世話好きの夫人は、かつて居酒屋を営んでいたという話も聞いた。ひとりになってここに戻ってくることは少ないだろう。元気になって、そして望むなら、また居酒屋の女将になって酔客に囲まれた楽しい時間を過ごしてほしい。かつて村山富市元首相が地元に帰り、ママチャリで近くのコンビニに買い物に行く日常を伝えた映像が中国で流されたとき、日本の権力者の惨めなその後のような受け取られ方をされたそうだ。むろん、日本ではそうは思わない。いや、古代のローマでも、最高権力者に選ばれたものは、1年の任期の後、また一農民の暮らしに戻ったという。

8th Jul 2022

安倍晋三が凶弾に倒れた。買い物の帰り、北麓の安倍晋三宅の前を通りかかった。普段通りで、人影もない。明日は誰か花束を寄せることだろう。

30th Jun 2022

ここ数日続けて気温が30度に近づき、ここでは猛暑の日々である。けれど、夜になると10度以上一気に下がり、外に出ると肌寒い。猛暑が続くと東京に行きたくなくなるが、その理由が熱帯夜とアスファルトだ。以前スーパーの駐車場のベンチで出会った八王子の軽トラで運送業をやっている老人が、都会の熱さが嫌で、夜になるとこちらに寝に来ると言っていたのを思い出す。となると、1000m以上は上がらなくては駄目ですねと言うと、それでは足りないと話が妙に盛り上がった。人は経験で得たものを語りたがる。

29th Jun 2022

ひょんなことで尺八をことをあらためて調べてみたら嵌ってしまった。伝統的な日本の楽器程度の認識しかなかったが、これは飛んでもない世界と思った。その歴史は、あまりに人間臭い複雑な想像力が絡み合い、様々な工夫が重なり合って開拓された。ネットに残されたかつての名人の演奏に接すると、現代の音楽が何ともシンプルで浅はかにみえる。この世界を現代、未来に継承するのは、到底不可能ではないだろうか。そして、実はこうしてなくなる世界があたりまえにたくさんあって、ときは勝手に進んでいく。

27th Jun 2022

昨日は、ふくしまFMのジャズ・ラウンジのリモート収録。フィル・ウッズ、ジャッキー・マクリーンのデビュー当時の演奏を聴きながら、インタビューしたときのエピソード、そして、ブラッド・メルドーの新作『ヤコブの梯子』の話。メルドーとも何度か会っていて、話すことはまだまだあったけど、今も絶賛活動中なので、そう簡単にその世界をきめつけることはできないよね。動いているから生きている。生きているから動いている。番組もますますとっちらかってきているけど、悪くはないと思っている。昔、赤塚不二夫などの連載漫画で、主人公がいつの間にか別の登場人物に移っていくことが多かったけど、人間の想像力の面白さだと思う。

26th Jun 2022

仕事部屋の窓の向こうに大きな胡桃の木がある。毎年たくさんの実がなり、リスの食用になっている。どこかに隠して、冬の食料にもしているが、木の上で食べているのをみるのも楽しい。あの固い殻をよく割れるなぁと感心する。最初はこちらも何とか食料にしたいと思ったが、調べてみると、処理に手間がかかるし、苦労の割に収穫が少ないと知るとなかなか行動に移せない。クルミの実は、大量に道に落下したままで、それを自動車が踏み、大きな破裂音を発し割っていく。毎年繰り返される季節の音となっている。

23rd Jun 2022

山椒が小さな実をつけた。ここ数年在庫がいっぱいで採集は止めていたが、今年は再開しようと思う。今年は久しぶりにらっきょうを漬け、紅ショウガも漬け、そして、糠漬けも復活させた。便利な発酵済みの糠が安価で売られていたので、遊んでみたのだが、なかなかにいい具合だ。毎年、庭にたくさんのフキが出現するのだが、今年はこれにも挑戦しようかと思う。山椒やフキばかりではなく、タラの芽やウドなど他にもいろいろ食べられるのがあるけど、いかんせん勉強不足であまり利用できてない。こんなことに夢中になっていると、都会暮らしのつまらなさを思い出すが、これも今は春の季節だからだ。周りは緑一色、蝉や鳥の声も楽しい。

14th Jun 2022

雨が続いている。今日は気温も10度以下で寒い。ストーブを点けたり消したりで忙しい。その間、新しく買ったプリンターを調整したり、腕時計のバンドを付け替えたり、CDの整理をしたりで、何かと忙しい。車も買い替えたが、何やら半導体不足で、納車は大分先のことだという。TVも新しいのを予約したが、まだ、届かない。その他いろいろ慌ただしい。数か月後、東京に拠点を半分戻そうと考えているのだ。

5th Jun 2022

先ほど、渋谷毅のページを見に行ったら、昨日の記事で、池上比沙之が亡くなったことを突然知った。先週、新橋での飲み会で、池上の話題になったのは何かの偶然か…。

20th May 2022

緑がどんどん深くなり、鳥の声もたくさん聞こえる。今日は遠くに春蝉の声まで聞こえた。でも、ときどきストーブを点けたくなる。温度計を見ると、5度から15度まで行き来している。パリに住む友人によると暑くてクーラーを動かしたくなるという。30度位だろうというが、調べてみると、まだパリは25度くらいだ。人は今、カオスの中にいる。私たちの感覚も思考もふらつきながら前に歩いている。

24th Apr 2022

昨日、リバーサイド・レーベル研究家の古庄紳二郎さんが癌のため亡くなったという連絡が届いた。

23rd Apr 2022

ようやく春である。それも一気に。珍しく今年は、自生する富士桜、ミツバツツジと街路樹のソメイヨシノが同時に満開で、富士北麓は華やいでいる。ついでに今日は、近くで花火大会が開かれた。ドーンという爆音が富士山に反響し、5秒ほど遅れて届く。花火自体は、高い木々の間から見えるので完全ではないけれど、それでも楽しめた。花火と言えば、子供の頃、屋根の上から眺めた両国の花火だ。昔は東京にも高い建物がなかったので、屋根に上れば誰もが楽しめたのだ。その風景は、当時の漫画に当たり前に登場した。盛時の両国の花火は、2時間位あっただろうか。最後に特別の大きな花火が打ちあがり、驚嘆の声が上がり、その後元の静かな夜に戻ると、このハレの時は1年という長い時間を待たないと再び来ないと不思議な寂しさを味わった。今回の花火は、尺玉、スターマイン合わせて1万発というが、時間にして1時間弱。日常に埋没しそうだ。そういえば、以前住んでいた家のベランダから毎日ディズニーランドの花火が遠くに見えた。8時30数分。日常的に甦る瞬間のハレの記憶も悪くなかった。

3rd Apr 2022

昔、「ザ・ブルース」という雑誌に書いた原稿を本に収録したいと、当時の編集長の高地明くんからメール。懐かしい!昔は、「中南米音楽」とか、いろいろな雑誌に書くことが好きだった。その後これらは改名し、さらに読者を獲得していったが、そういう経過をそばでみているのも楽しかった。むろん、私は基本的に部外者なのだが、そういうポジションが好きなのだ。専門家はキライである。なりたいと思ったことがない。

2nd Apr 2022

久しぶりに更新。いろいろなことに翻弄されて休止してたけど、いたって元気です。一昨日は東京で靖国神社横の通りで凄まじい桜吹雪を体験し、夕方帰宅したら小雨となって、それが翌日起床したら、辺りは今年一番の鮮やかな雪化粧。これはすごいなと思ったが、その雪もあっという間に雨で溶けてしまい、雪かきをする時間もない。コロナも戦争も世界は急速に動いている。

14th Feb 2022

昨日の降雪が足されて、今回は約60cmの積雪ということだろうか。気温が低いのでなかなか溶けてくれないけど、除雪作業が順調なので、交通の滞りはない。瓦斯屋さんがボンベの交換に来たけど、雪の上にボンベを滑らせて慣れたものだ。近くの家が除雪機を導入し、楽しそうに雪かきをしていた。機械と人力では雲泥の差で、確かに楽しくもなる。仕事の達成感は重要だが、楽して達成すればもっと気持ちいい。道具にこだわる理由だ。

10th Feb 2022

明け方の4時ころから雪が降り始め、12時間後の今の積雪は40cm位だろうか。すでに車は雪で埋まってしまった。雲の動きをみると、もうしばらく雪が続き、60cm位になるかもしれない。この雪に備え、昨夕、スーパーに行ったが、すでに商品が消えていた。ここの住人が共有する8年ほど前の大雪の記憶がそうさせたのだろう。そのときの雪の深さは143cmまで達し、道路が封鎖され、3日間家に閉じ込められた。

6th Feb 2022

今日は一日中気温がマイナスだった。−3から−11度。この冬の底だろう。晴天で、星空が奇麗だ。オリオン座がすぐそこに見える。この天気が崩れると雪になる。予報をみると、1週間後を中心に積雪になる。畳みかけるように降ると、個人的な予想だと1m位の深さもありえるだろう。それが終わると季節は春にシフトする。その頃は、コロナ騒ぎも終焉に走っていると思う。

19th Jan 2022

深沢七郎の習作時代の短編『揺れる家』に驚いたことがある。この作品の舞台が、自分が育った東京の下町で、実際、深沢は、一時この街に住み、日劇ミュージック・ホールのギタリストとして、銀座に通っていたようだ。子供の頃、貸本屋というのが流行っていて、深沢がこの街に住んでいたことを教えてくれたのは、毎日のように通っていたその貸本屋のおばさんだった。それに、小説を読む以前に、主人公の少年を取り巻く複雑な家族関係のこの小説に似た一家が、この街にいるともおばさんはうわさ話で教えてくれたこともあった。大手の出版界とは違う当時の貧しい貸本世界は、その後白土三平を生み、つげ義春を生み、そして、つい最近亡くなったさいとう・たかおを生んだが、あの暗い少年時代は、豊饒な物語世界だったとも思える。

9th Jan 2022

富士山に登ったことはないが、どうも武田泰淳も登ってない気がする。それよりももっと興味深いのは、『楢山節考』の深沢七郎は、確か霊山だからというので、富士の麓まで訪れながら、武田山荘には登って来なかったと『富士日記』に書かれている。武田泰淳は、『楢山節考』受賞の重要な選考委員の一人だから、行けないことに心苦しかったろうが、いかにも深沢七郎らしい話だ。その深沢七郎の実家が、峠を越えた甲府盆地の石和にあり、そこの療養施設に数ヶ月居たことがある。その深沢七郎の実家は、今は蕎麦屋を営み、結構な名店と聞いたので、訪れてみた。室町砂場で修業した人が打っているらしく、メニューも似ている。蕎麦も今の砂場よりもいいんじゃないかと気に入って、その間に2度ほど訪問した。ただ、店のどこにも深沢七郎の影がない。そういえば、私のリハビリに付き合ってくれた若い療養士のほとんどが、この町が生んだ深沢のことを知らなかった。深沢七郎の周辺で何が残り、何が消されているのか。

5th Jan 2022

家の標高は、1100m位になるだろうか。ここから5分ほど車を走らせたところに、かつて武田泰淳の武田山荘があった。そこで書かれたのが武田百合子の『富士日記』で、泰淳没後に出版された。家を建てた頃は、まだ武田山荘は存在し、人のいる気配もあったけど、その後武田百合子も他界し、今は取り壊され何もない。あるとき、道路から見えた山荘の屋根がなくなり、泰淳が書いた武田山荘の門柱も打ち捨てられているのを見て、壊されたと思った。武田山荘は、斜面にあり、道路から少し下ったところに車止めがあったが、これがかなりの坂で、武田百合子が運転したブルーバードSSSでもきついんじゃないかと思った。家から上がった道路を富士山の方に歩くと、この近辺のメイン道路とクロスし、そこを渡るというのが晩年の短編集のタイトルになった『めまいのする散歩』だ。この6,7mの道路を横切るには確かに不安を覚えたに違いない。下り坂でカーブもしていて、視界が悪く、車がいつ来るか分からないのだ。そこを横切ると、右方向に工事用途の広場のような空き地が広がり、そのまま進むと山道で、確かに散歩に相応しい。いつ建ったのか分からないけど、横切った道路の左側に洋館風の家があり、よく何かの撮影で使われる。あるときほとんど深夜、たまたまそこを通ったとき撮影隊がいたので、何の撮影かと聞いてみたら、松坂桃李、木村文乃、菜々緒の人気TVドラマ『サイレーン』の撮影だという。こんな辺鄙なところで、と驚いた。中では木村文乃と菜々緒が死闘を演じていたに違いない。ほぼ武田山荘の目と鼻の先で、もし時代がずれていたら『富士日記』に記録されたと思う。

1st Jan 2022

謹賀新年

2年以上溶けない凍土は永久凍土と定義される。近くの富士山頂にそれがあるというが、確認したことがない。白状すると、こんな近くに住んでながら、富士山には一回も登ったことがない。小学生の頃、途中で高山病になったことがトラウマになっている。そのときの登山は、だから、今でも鮮明に覚えている。途中までのバスの中で、中国人観光客からスイカの種をもらって食べたこと。登り始めに元気が良かったのではしゃいで走り回ったのが、その後の運命を決めたのだろう。7合目の小屋で横になったまま身動きがとれなくなった。大人たちはそのまま登山し、私は一人、強力(ごうりき)さんに託され、翌日、須走口から降りて、御殿場で落ち合うことになった。強力に背負われた私は、それでも苦しく、ときおり低木の高山植物に顔を突っ込んで、植物は酸素を出すことを学んだ。宝永山の爆発で作られた砂走りは、富士登山の下り路の人気だが、当時、私はブリキの板に座って下降した記憶がある。今は、そういう映像がないので、禁止されているのだろう。確かに勾配の強い滑降は事故が起きても不思議ではない。しかし、当時のこの滑降の気持ちよさは鮮明に残っている。何よりも瞬く間に高度が低下し、酸素が増し、あっという間に体調が戻ってしまったからだ。

30th Dec 2021

2日間東京に行って帰ったらトイレの水道が凍って使えない。毎年のことだけど、今年の寒波は早かった。翌日暖かくなって、無事氷が解け正常に戻り安心したが、次の寒波は長引きそうだ。用心して水抜きの作業を怠らないようにしなければならない。寒くて困るのは、漬物が凍ってうまく漬からないということもある。零下が続くと凍ったままになってしまうのだ。雪があまり積もらないここは、土が凍る。凍土の世界は、ただ寒いだけだ。

22nd Dec 2021

月、火と東京で忘年会ふたつ。久しぶりのたんぱ出演も無事終え、これで今年の仕事は終わりと思っていたが、神田のおでんやでプチ忘年会を楽しんでいたら、新聞の原稿の行数がたりないという緊急連絡。そこで予定より早めに切り上げ、ひとつ前の高速バスに飛び乗り帰宅し、深夜コンピューターに向き合う。追加分をすぐに書き上げそのまま送信。さぁこれで終わり!と思いきや、一夜明けると、まったく未知のメディアの方から相談のメールが突然飛び込み、ゴールがまた移動。で、これまた直ぐに作文し返信。テンションが高いと、次々と片付いてしまうのは何故だろう。さぁこの後の落ち込みが怖いと思っていたら、来週また東京行きの予定が入る。休みたいのに、休めない、休めないのに、休みたい、休みたいのか、たくないのか…、とかいう詩が昔あったなぁ。

5th Dec 2021

突然、鹿が車の前を横切りぶつかりそうになった。夜の運転は危ない。近くの博物館が閉館になっている。看板に熊が出没したからという。記憶によると武田百合子の『富士日記』に熊出没の話題が1回だけある。あの時代に比べると、もっと頻繁にある気がする。さすが熊は怖いので、その度に警戒報が出されるけど、その後どうなったかの報告は聞いたことがない。帰っていったという判断なのか。

28th Nov 2021

ようやくふくしまFM12月2日放送分をリモート収録。編集が間に合うのかなと心配。ジョニー・ホッジス、ウイリー・スミス、ベニー・カーターのアルト・サックス三羽烏とチャーリー・パーカーとの激突共演と挟間美帆、田中鮎美、本多俊之、新作3枚がメイン。これらみんなジャズと呼ぶのかとの声があるが、実は最近、私の中では、スリー・サンズやビリー・ヴォーンも入れたくなっている。(笑) 今回はホッジスとローレンス・ウェルクの共演をそっと出し、お茶を濁す。アメリカのインスト・ポピュラー音楽の世界は広大なのだ。ウイリー・スミスという甘いカクテルのレシピを知ったので、馴染みの店でフローズン・ウイリー・スミスなるものを作ってもらいたいとふと思い浮かんだ。フローズンは、手間かかるので嫌です、遊びに付き合えませんと断られるかも…。なるほどただ水っぽいだけか。なら、レモンを2ダッシュ! 想像は楽しい。

25th Nov 2021

2週間経って、今月2日目の東京泊。人の流れはかなり戻ってきているように見えるが、夜になると寂しい風がうっすらと流れる。次の波が必ず来るとどこかで心配する声の反映なのかもしれない。灯がありながら人影が見えないゴーストタウンのようなこの光景は、ホッパーの『ナイトホークス』そのままだと思い出した。

12th Nov 2021

久しぶりの東京泊。賑わいがかなり戻ってきたようだが、タクシードライバーは、まだまだと不満顔。それでも某編集者を呼び出し、馴染みの酒場を3軒梯子。コロナ談義はほぼなく、店主らと久方ぶりの再会を愉快に過ごす。隠岐の麦焼酎、キンミヤ、六代目百合、フローズン・ダイキリ、マンハッタン等蒸留酒ばかり。何年振りだろう。

5th Nov 2021

家の周りは紅葉の盛りで、日ごとに色が鮮やかになる木があれば、盛りを過ぎ、枯れて落葉する木もある。その日々の景色の移り変わりは、小さな時の経過でもあるけど、景色を構成する木々も少しづつ大きくなったり、また、嵐で倒れたりで、数年で景色はまったく違った絵柄になっていく。これは時代の移り変わりと呼べばいいのだろうか。数日前に書いた日野皓正のライブ評に、いささか無理やりな使い方かなと思ったが、50年ほど前に読んだ本のあとがきで出会い、ずっと忘れずに残っていたある言葉を差し込んだ。さすがに文脈が跳躍し、違和感を感じた若い編集者から早速手直しが提案され、やはりと思い了承したが、その後すぐのメールで、これは××の言葉だったんですね!とバレてしまった。 一瞬、目の前に見たこともない大きな真っ赤なモミジの木が現れた。

24th Oct 2021

コロナがすっかり落ち着いて、観光客が増えてきた。国道は車で溢れ、とくにオートバイの数が多い。オートバイは、普段あまり多くはないので、気にしないのだが、この週末は、突然出現するオートバイにビクビクしながら車を運転した。日常を回復するというのは、こういうことだろう。観光客が少ないのは、寂しくもあるけど、増えるとまた煩わしく思うは、観光地の住人の勝手な思いである。ところで、急に寒くなった。1日は0度から10度の間で変化し、これは東京では冬である。明日、その東京に移動するが、5度から10度違う気温に対応する衣服選びが面倒だ。

29th Sep 2021

佐藤さんが亡くなったのは8月25日で、その前日にローリングストーンズのチャーリー・ワッツが逝った。今も詳しい死因は伝わってないが、共に癌のようだ。昨日リモート収録した10月7日放送のふくしまFMの番組(毎月第一木曜20時からの1時間)でワッツの話をした。昔、インタビューをしたことがあったからで、当時出されたワッツのジャズ・アルバムの記事の為に雑誌社からの依頼だった。話はワッツのドラム・スタイルとブリティッシュ・ロックとジャズの関係、さらにはイギリス音楽界がアメリカの音楽にいかに深く関係しているかを簡単に解説した。詳しくは放送を聞いて欲しい(ラジコを使えばネットで視聴可能)が、そこでしゃべり忘れたことがことがあった。それはワッツの白いスーツと革靴の見事なファッション・センスで、これはジャズと思った。さらに、その靴で長いソファに足をかけて座る振舞いは、ロックなのだろうと思った。

22nd Sep 2021

2週間ほど前、8月に佐藤秀樹さんが亡くなったという知らせを受けた。このコロナ状況下では何もできないということで、いろいろな人と、電話で思い出話をするだけだった。佐藤さんの思い出は、いい思い出ばかりだが、けれど特段の思い出すような出来事があったわけではない。それが佐藤さんらしいと改めて振り返ってこの人のことを思う。深く踏み込むような人との距離はとらないけど、ときどき近づいて、耳元にささやくように言葉をかけてくれることがよくあった。そのいくつかの言葉を今も覚えているが、人には言えない。その瞬間の優しさの感触がずっと残っている。

29th Aug 2021

夜鳴き蝉。真夜中なのに蝉が鳴いている。変だなと思って調べてみたら、都会では10年ほどまえから現象なんだそうだ。これには都会の温暖化が原因という推測がある。けれど、そうだとすると、それが富士北麓のここで起こるのは納得できない。確かに最近の気温は高めではあるが…。ところで、調べていると別の面白いことを知った。何とタイでは蝉は夜鳴くものというのが常識で、日本では蝉は昼に鳴くというと不思議がられるという。本当だろうか。タイに住んでいる人に今度聞いてみよう。こんなことを書いていると、さっきまで聞こえていた鳴き声が止まっている。変な個体種だったのか…。

20th Aug 2021

豪雨が長引き、夏の季節がいつの間にか通り過ぎてしまったようだ。山の暮らしだと例年この時期、どこからともなく秋の予感が届くのだが、久しぶりの晴天を楽しんでいたら、今年もそういう季節だなぁと思い出してしまった。蝉の鳴き声は相変わらずだけど、注意して観ていると葉が落ち始めている。子供のころは夏は永かった。今は一瞬の盛りが分かる気がする。そういえば今年はまだ冷やし中華を楽しんでいない。これは作るのは意外に面倒だが、好きな料理だ。周りを見渡すと冷やし中華はどうも忘れられつつあるのではないかと心配にもなった。時代も変わる。

25th Jul 2021

普段はスポーツ観戦に熱心ではないのだが、偶然オリンピックの自転車のロード・レースにはまってしまった。たまたま近くの山中湖がコースになっていて、その光景を見たかったというのがきっかけだ。日本では人気がないので、TV放送はなく、インターネットでの鑑賞だが、解説もなく、たんたんと選手たちを追っていく映像だけというのも、はまった原因かもしれない。競技のルール等も分からないから、いろんな出来事から様々に想像し、この競技の合理性のようなものを教えられ、それが何とも面白かった。全長244kmの山あり谷ありのコースをなんと約6時間で走破する。平均時速40キロで走り続けることになるが、これはとんでもない話だ。

3rd Jul 2021

コロナの喧噪の中、あと数週間でオリンピックが開かれるが、何か他の世界のようでピンとこない。とはいえ、こんな大きなイベントなのだから、その為に動いている人は、今、リアルに猛烈な忙しさなのだろう。その結果がどういうものになるか、なかなかな見ものと思う。数日前に中国共産党の100年のイベントが開かれ、北京が厳戒態勢で都市封鎖のようになったが、実はこれ、オリンピックがあるので、日付が前倒しで開催されたのだという。世界は色々やりくりしながら、その為にたくさんの人が動いている。シンガポールが、コロナ感染者の発表を止め、例年のインフルエンザ並みの扱いにするように決めたというが、日本もこの期間限定でもいいから、感染者数の公表を止め、オリンピックに集中するということにしたらどうだろうか。万が一悲惨な状況に陥ったら、突然、都市封鎖のようなことをすればいい。そんなこと起こりえないと思うけど…。コロナには、こうした一点突破、全面展開、世界同時革命のようなことが必要という妄想が駆け巡る。よっちゃんの「タラタラしてんじゃね〜よ」を食しながら…。

2nd Jun 2021

このところ妙に寒い。調べたら10℃から15℃辺りで、平年より5度くらい低い。夜は、寒いのでストーブを点けたくなるが、すぐに暑くなるので、困った陽気だ。結局、寒さをがまんとなり、快適な季節は、まだ先のようだ。先日の皆既月食は空振りになった。忙しかったので忘れてしまったが、夜、用があって車を出して、ようやく思い出した。山道の途中で何台か車が止まっていて何だろうと不審に思い、ようやく気づいたのだ。途中、星空を見る広場があるから、そこ行くつもりしていたのだろう。けれど、空に星はなかった。正直なところ、富士山麓は、星を見るにはよい環境じゃない。経験では、長野の方がいい。ここでは天の川をちゃんと見えた記憶がない。高校時代、八ヶ岳のキャンプで見た天の川が懐かしい。でも、一番の星空は、大学のとき、八丈島で見た流星が乱れ飛ぶ大迫力の星空で、プラネタリウムは二度と見たくなくなった。今でも青ヶ島まで行けば、きっとすさまじい夜空を体験できるだろう。行ってみたい。作られた画像は取るに足らない。

25th May 2021

夕食を取っていたら、2階の窓から真ん丸の月が見えた。明日は久しぶりの皆既月食だそうだ。今日のように晴れるといい。6時過ぎから10時頃まで北の空を眺めよう。

20th May 2021

ウグイスが鳴き、ハルゼミが鳴き始めた。木々の葉がすっかり出そろい、季節は春から夏に移動している。山椒も、料理で飾りに使う木の芽と呼ばれるぴったりの先端部分に育っているが、この状態は短期なので、急がなくてはならないが、季節の移ろいは早いので、結局、例年なかなかうまく活用できてない。この時期の柔らかい葉は、ちりめんじゃこと煮た山椒の葉の佃煮がいい。これは実山椒を使ういわゆるちりめん山椒ではない。実山椒を収穫するのはまだまだ先のことだ。

10th May 2021

さくらの季節が終わり、ようやく暖かくなった。ところが私の最後の花見は、自宅のヤマザクラで、隣のカスミザクラとペアになって、山暮らしの春を彩る。ヤマザクラが若干高いが、ともに20mを越え、見上げるように花見となる。だから、最初はサクラだと気づかなかった。風に乗って、何かの花びらが届く、といった印象でしかなかった。街のさくらがすっかり葉桜になったころ、約1ヶ月か1ヶ月半遅れて、カスミザクラが咲き、その最盛期にヤマザクラが遅れて咲き始める。大きいのはヤマザクラで、そんなわけで何日も花吹雪が続く。今日、東京はTシャツの気候というが、ベランダにはさくらの花吹雪が続いている。今が一年で一番こころ楽しいときだ。

10th Apr 2021

100均は楽しいけど、不満も多い。最近ではモバイル・バッテリーが500円で売っていたので、即、購入した。容量が少なくても、私のカード携帯用にぴったりで、こんな安価でも1週間はもつだろうと踏んだのだ。しばらく前、USB接続のLED電球が面白いと思い、緊急用にと購入。たまたま数日後地震で停電したので、重宝したが、ただ、電気消費が想定以上で、長時間の使用は無理と判明した。先週、東京の大型店舗(日本一というから、世界一の大きな100均ということになるだろう)に立ち寄ったが、結局、目指したものは見つからず、何も買わずに帰った。この世界は、商品の入れ替わりが激しく、新商品も多いが消えていくものも多い。つまり、この消費生活の速度に私は適合してないと気づいた。富士山麓に帰ったら、富士桜が満開だった。この季節の移ろいについていくのも大変だが、こちらは楽しいことしかない。

29th Mar 2021

携帯電話は、ドコモのカード型を使っている。世界で最小の電話と言われているが、それ故に難点がたくさんあって、人には薦めない。バックライトがないから、暗闇では画面が見えない。文字を打つのも難儀するからメールの返事はしない。当然、カメラもない。でも、電話の音声はクリアで、この機能は万全だから、いつも首から下げて使っている。旅行のときは、旧型のアンドロイドか、今は絶版のウインドウズ・スマフォで、フリーのWi−Fiスポットでつないでいるが、それもあまり活用してない。移動先で腰を据えてネットを利用するときは、ウインドウズの小さなタブレットでキーボードを叩く。やっぱり変人かと思うけど、モノにこだわりがあると言いたい。スマフォ以前は、京セラの携帯、メディア・スキンを使っていた。NYの現代美術館に永久収蔵された優れもので、もしAUが電波方式を変えなかったら、多分、今も使っていたと思う。デザイナーと制作者の熱情のかたまりみたいなもので、今作ったらとんでもない価格になると思う。昔の携帯、インフォバーが復活して話題になったが、ほとんど興味がない。市松模様のデザインが魅力のようだが、モノとして新しい電話機の存在感が薄いのだ。ドコモのカード携帯のデザインにはそれを感じさせるものがある。音楽も同じだと言いたい。他に古いもので、今も愛用しているのは、原稿執筆のテラパッドというアプリ。千円以下のシチズンの腕時計で10気圧の防水と精確なムーブメント。そして、復活、再利用を目指しているのがトロンOS。文字表現でこれ以上のモノは、今もない。エディター・アプリにいいのがないので、自作に挑戦しようかと大胆なことも考えている。80歳を超えたおばぁちゃんが作ったiフォンのアプリが評判と聞いた。負けてはいられない。

22nd Mar 2021

開花情報が伝わっているが、春の嵐が吹き、そして、また雪になった。この季節の変わり目はいつもこんな感じ。明日はFM福島のリモート収録、そして、木曜日は1ヶ月ぶりの東京遠征。今週は何かと慌ただしい。

17th Mar 2021

数日前に雪が降って、春はまだかと思っていたら、このところ気温が零下になることなく、冬は終わったようだ。一番早いフキノトウもでてきているが、まだ食すには早い。明日はコロナ規制の解除宣言されると聞いたが、世の中も動いて欲しい。

4th Mar 2021

インターネットの回線料金の改定をきっかけに、新しいスマホに替えようかと思案している。とは言っても、これは面白いという機種がなかなか見当たらない。昔の携帯は、デザイナーと結託して個性的なものがあった気がしたが、どれも同じようで面白みに欠ける。こういう時代だから、日本の研究、開発力の底力を発揮してほしいのだけれど、どうもそういう機運ではないようだ。未来は、今ある世界の延長にあるのではなく、新しい閃きでしか切り開けないのだけれど、そんな挑戦ができない状況なのだろうか。世界は停滞してる。

1st Mar 2021

暖かくなったり、寒くなったりを繰り返しながら、徐々に春に移動している。けれど、この先、楽しい春がやってくるかは分からない。この地球に暮らす人々を取り巻く状況は、ひどく歪んでしまって、容易に解きほぐすことができない。簡単なはずなのに、頑なに信じ続けることが、絡んだひもを解けなくしてしまった。深夜になって、雨音が聞こえる。穏やかな世界の音楽のような優しい音に聴き入ってしまう。

29th Jan 2021

昨日の積雪量は、近くの測候所の記録では29cmで、約その半分が昨日の降雪だろう。今が寒さの底で、季節は春に向かう。楽しさが徐々に膨らむ。

28th Jan 2021

2度目の本格的積雪。午前中から降り始め、午後には家に閉じこもる覚悟を決め、外出の予定をすべて無しにする。数日の燃料と食料は確保してあるので大丈夫と思うが、あくまで予定であり、潤沢なわけではない。社会生活は、いつもこういう危機に備えなければならないけど、人はすぐに忘れる。もっとも、忘れるのは人の能力という話もあって、そこに人の不思議と面白さがある。余白のある未完成だから生きていける。

20th Jan 2021

急遽、仕事で東京入り。河口湖駅でチラホラ海外からの観光客と思われるカップルが…。噂通り。高速バスの客が激減してるので、妙に目立つ。東京も人はいても賑やかとは言い難い。とくに夜は戒厳令のように静かだ。いろんな意味で慣れてしまったのだろう。

15th Jan 2021

数日前にトイレの水道管が凍り、水が出なくなってしまったが、夕方、突然、開通した。温かくなった兆候だが、予報を調べてみたら、しばらくこの暖かさが続くようで、冬のピークが、このまま過ぎてしまうのか、などと都合のよい想像を楽しんでいる自分がいる。となるとこの温かさとともに、コロナ・インフルエンザも終わるだろうなどと考えたりするがどうだろうか。ちなみにだが、コロナへの関心が、最近、急速に薄れている。科学的な追及が放っておかれ、政治的なやっかいな問題として居座っている。

12th Jan 2021

遅ればせながら新年のご挨拶。今日は、今季初の積雪。雪が降ると、寒さが若干ゆるむので、悪いことばかりではない。実際、明日の予報は気温が久しぶりに高くなる。全部溶けはしないだろうが、数日して雪が溶けると、また新たに雪が降る。ここの冬はその繰り返しだ。年頭、古いプリンターが動作しなくなったことに気づいた。調べるとOSが自動更新されていくうちに、対応しなくなったということらしい。キャノンのサイトに行くと、すでに対応機種リストから消されている。あまりに古いので致し方なしだが、だったら更新しない機械を一つぐらい残したかもしれない。トランプ大統領のSNSのアカウントが強制削除され、世界中から非難されている。スマホのOSが二つに独占され、その両者がそうした強制措置を実行すると、こういう世界が立ち上がるのが現代の情報技術社会だ。グーグルにしてもアップルにしても、企業イメージの化けの皮がはがされたのは当然だ。ちなみに私は極めて限定的にしかSNSを使わない。用心深いということもあるが、それ以前に面倒ということもある。さて、インターネットのブラウザにも特定のサイトを見せないという規制が予定されているというウワサを聞くと、対応策を考えなくてはならない。面倒な世の中になってしまった。

17th Dec 2020

数日前から急に寒くなった。1日中マイナスで、明け方には−9度を越える。世界も、突然の真冬を迎えるのだろうか。

29th Nov 2020

久しぶりにMOSSのタープを張る。このオリジナル・タープは製造後30年は経っていると思うけど、ちゃんと使えるのが不思議だ。最近、キャンプ・ブームだそうで、100均にもキャンプ・グッズのコーナーがあった。道具も日々変化し、便利なものが安価で手に入るので驚いた。火吹き竹が好きだが、割れ易いのが欠点だけど、金属製のストロー状のようなものを発見し、早速購入。トランギアのアルコール・バーナー用の3枚板のゴトクもあって、これには驚いた。設計のつめが甘いのが残念だけど、100円だからと我慢。しかし、こんなもん誰が買うんだろうと思った。調べてみたら、このスウェーデン製の道具は相変わらず健在で、しかも、以前以上に人気のようだ。ただ、かつて1000円が相場だったのが、4〜5000円で売られていたのでビックリ。歴史が付加価値を生んでいるのだろう。ちゃんとしたものを買いたいという意識は分からないではないが、ブームは、過剰に人の心を惑わせる。

27th Nov 2020

この1週間で放送の仕事2本と新聞の原稿を1本書き、ちょっと忙しかったが、その間に、周りの木々の葉がすっかり落ち、すっかり冬の景色になった。とはいえ寒さが厳しくなったわけではない。一時はマイナス温度になったけど、今はそれほど寒さを感じない。例年通りの気温の推移で、氷が張るのは、もう少し先だ。この季節になると野鳥のためにひまわりの種を餌台に置き始めるが、今年は迷い猫のことを考えなくてはならない。そのため猫に襲われないように、長いポールを立て、その上に餌台になる皿を設えた。何だか奇妙な光景だが、オブジェとして悪くはない。しかし、それでも近くにとまった鳥を猫は襲うだろう。人に都合のいい共生は不可能とも思っている。

18th Nov 2020

仕事部屋の様々なところに張っていた蜘蛛の巣と格闘した。蜘蛛は益虫と言われ、普段あまり気にもしないのだが、さすがに鬱陶しく思い、取り除くことにしたのだ。蜘蛛の巣と言っても、いわゆる蜘蛛の巣状と言われる形のきれいなものではなく、四方八方に糸が絡んだもので、数ミリの小さな蜘蛛が小さな空間に張る。けれど、それが大きくなり、次々と空間を広げていくと、さすが煩わしくなる。確かに蜘蛛が糸を張る作業を見るのは楽しい。どういう風にしてこの小さな生き物が大きな空間を把握し、建造物を作るのだろうか。糸の成分も不思議なものだ。いつの間にか、果たして人間は、このゴマ粒のような小さな生物のすべてを知らないのではないかと考え込んだりする。ITだとかLoTだとか近未来の生活を変える技術は大騒ぎになるけど、身近にある未知の世界にもたくさんの手つかずの宝があるのではないか。蜘蛛の巣は、払ってもすぐにまた新しく作られる。何匹も住み着いているらしい。完全に自然を遮断できない環境なのだ。

16th Nov 2020

初めて腕時計の電池を自分で交換してみた。たまたま小さなドライバー・セットをもっていたので、それで裏蓋を外し、ネットで購入した電池に交換するだけの簡単な作業である。電池は100均でも売っているという話だが、これから数個の電池交換が予定されているから、5個入りのより安価なセットを買ってしまった。これは3年程前に1000円台の安い時計にハマり、4個ほど買ってしまった結果でもある。その動機となったのが、世界の時計の心臓部のムーブメントのほとんどが、シチズン製で占められていると知って驚いたからだ。精確で安定性があり、しかも安価という基本を押さえたこの会社の技術力はすごいと思う。むろん、精密な作業を駆使した高級時計の魅力もこの世界にはあるけど、一方で普段見えないけれど、こうしたほぼ同程度の能力を実現する底辺技術も同じように魅力的なのだ。ついでにこのときカシオのソーラー・エネルギーの電波腕時計も買ってしまった。1万円以下の永久不滅多機能時計である。外見、仕上がりが不細工なので普段使うことはないけど、コンピューターの横で置時計として使っている。ちなみにコンピューターの時計は、この時計に数秒遅れる。これに文句を言う人がいるが、正確なのはこちらではないかと思っている。

7th Nov 2020

アメリカ大統領選の常識を超える混乱に唖然とさせられる。しかもこの混乱は事前にしっかり予見されていたというのだから、問題の深さ、広さは深刻だ。これがコロナ問題を解決できない忌まわしい状況とも複雑に連携するものなら、今、世界は途方もない大きな難題に直面しているのかもしれない。ただ、見えない問題には英知は発揮しずらいが、今そこにある問題にはすばやく動き出す。だんだん見えてきたことは希望のひかりでもある。

25th Oct 2020

今朝、やけに寒いなと思っていたら、近くの測候所によると、5時にマイナス0.5度を記録していた。あらためて周りの景色を見渡すと、赤、黄に紅葉した葉と茶の枯葉、そして、緑の葉が入り交じり、その色どりが奇麗だ。この夏に捨てられ、姫ネズミを捕って食いつないできたらしい半ば野生化した小猫が、外で泣いている。新しい飼い主を捜しているが、そろそろ家に入れようかとも思案している。けれど警戒心が強いのか、玄関を開けても容易に入ってこない。餌をあげれば食べる。それだけを要求している。調べたら豪雪地帯でも野良猫はいて、やはり家には入らずに軒下、縁の下で暮らしているという。都会からの新参者にはいろいろと悩ましい新しい隣人だ。

30th Sep 2020

急に寒さを感じる季節になった。しばらく前、例年より数日早い富士の初冠雪を記録した。気温は15度以下で10度を切るときもある。そうなるとすっかり冬となるが、でもまだ秋なのだと思うのは、葉が落ち始めたとは言え、木や草が緑だからだ。ところで富士山の初冠雪は、目視で決められる。実際に雪が降っても積雪しなければ意味がないし、それが早くに消えたり、量が少なかったらみんなが納得しない。降雪と言ってもいろんなレベルがあるのだから、物理的な数値よりも、どこそこの桜の木で開花日が決められるように、ある場所から見た富士の姿で初冠雪が決められる。富士北麓には河口湖町や富士吉田市があるが、そこではない。峠を越えた甲府から見て決められる。正直言って、甲府からの富士の風景はみすぼらしいのだが、これは仕方がない。実際、北麓の住人は、今年は初冠雪宣言の2日前にすでに冠雪を見ていて、ああ今年もその季節がやってきたのだなぁという思いに浸っていた。この濃厚な季節感は甲府の人々には分からないと思う。

6th Aug 2020

梅雨があけたというのに、ぐずつく天気が続いている。熱くはないが、涼しさもなく、幾分不快を感じるのは風が止まっているからだろう。以前から隣の藪にへびがいる聞いていて、最近、近所の人からも目撃情報があったけど、一度も見たことがないので、実感がわかない。馴染みがないから、恐怖の対象というのは、現在のコロナ騒ぎと同じなのかもしれない。へびは観たことないけど、動物はよくみる。だから、それぞれに相応の親しみと怖さがある。小さな日本リスは可愛いと思うので、近くで見たいが、警戒心が強いので、すぐに逃げてしまう。それだけ他の獣の犠牲になっているのだろう。アライグマは見かけと違って獰猛なので、近づけたくない。あの爪は恐怖である。とはいえアライグマの鍋や丸焼きはうまいそうで、ジビエ料理として供されるようだ。けれど、家の近くのレストランでは鹿料理はあってもアライグマは聞いたことがない。鹿同様、最早害獣とされるアメリカ渡来の動物だが、まだまだ距離感の取れないいろいろ難しい存在である。

25th Jun 2020

ほぼ3カ月ぶりの東京。都心にしかいなかったが、歩いている人全員がマスク姿に驚いた。大阪や渋谷のライブカメラを観ていたので、こんなんじゃないと思っていたが、地域、世代によって違うんだと思った。新宿バスタに若いホームレスがいた。ベンチに掛けると、いつの間にか若い男が黙って目の前に立ちスマホを見続ける。隣の席にはうす汚れた紙袋があり、このベンチは私の場所と主張しているようだが、いくら話しかけても何も答えない。海外の旅行者が帰国できなくなったのかとも考えた。と、ここまで書いて、気になったので、新宿バスタ、ホームレスで検索してみたら、新宿のホームレスを調べて報告しているページがあった。出会った人は、モバイル、さらにはワンデイ・ホームレスと呼ばれている。以前から居たようだが、今は昼間もたくさん「住んでいる」ようなのだ。帰宅してニュースを見ると、今日は、東京で55人ものコロナ感染者が出たという。その多くが無症状の新宿の夜の街の若者たちと言う。ホストクラブを狙った調査なのか。調査すれば感染者が出るという意見もあるので、この調査は意図的なものとする人もいる。近くにうす笑いを浮かべている人間がいるのかもしれない。

25th May 2020

うぐいすの鳴き声の間からハルゼミの初鳴きが聞こえた。これから益々大きく、長く鳴くだろう。樹の緑も濃くなり、草も大きくなっていく。いつの間にか胡桃の花が垂れている。ベランダにタープを張ろうと思う。

12th May 2020

ヤマザクラが散り、カスミザクラの花びらが風に吹かれてベランダに降り散る今日この頃、1年で一番好きな季節だ。日に日に辺りが緑で覆われる。うぐいすの鳴き声ばかりが聞こえるが、ホトトギスも遠くで鳴いている。のんびりとした温かな日々。

6th May 2020

桜が終わると気温が一気に高くなり、周辺の植物の生長が加速されてきた。春ゼミの鳴き声がそろそろ聞こえてくるだろう。不思議な休暇が続き、誰も時間の流れを失って見える。けれど、これもそう長くないうちに終わり、また時間のねじが一杯に巻かれ、時計の針が加速するように動き出すだろう。ただ、それはもう以前の世界と違っているに違いない。

15th Apr 2020

そろそろマスク不足が解消してるだろうと思ったら、そうでもない。家庭内在庫が増えるだけで、広く行き渡る状況ではないそうだ。確かに頻繁に人と接触しなければならない状態なら、安心の在庫確保は重要と思う。それと、スーパーなどのレジと客をへだてるビニール・カーテンの新しい工夫もなるほどと思う。この時代の風景として受け継がれるに違いない。防護服が足りないので、ゴミ袋で代用という話もあるが、必要とあらば工夫するのが人間だ。こんな状況でもシステムの崩壊などとは言えない。むしろ、この戦争のような状況で、余裕と解すべきだろう。悲惨な状況で、音楽は元気づけてくれますよねと聞かれたことがあった。確かにそんな風にイメージされるけど、生死の境の暗闇では、音楽は何の役にもならないと思う。むしろ、音楽は希望が見えたときにその光を広げるものだろう。余裕は想像力の原資と思う。歓びも哀しみもそこにある。

14th Apr 2020

5月に予定されていた今年の東京JAZZが中止となった。遅すぎる判断だが、逆に言えばそれほどやりたかったということだ。さて、そんなわけで、ありあまる時間をどう過ごすか、あらためて考えなければならない。庭仕事に精を出そうと思うが、ただ、ひまになったわけではない。むしろ、人との接触は多くなったと思う。毎夜のようにパリから電話がかかり世間話を楽しんだり、普段以上に旧友との再会が実現されている。中にはネット上で飲み会が盛んというが、こうやって人はこの時代と向き合い、そして、新しい時代を経験しているのだろう。それぞれが世界への想像力を試されている時代でもある。

13th Apr 2020

突然の雪。しかも、かなりの量だ。測候所の記録では32cmの積雪。2日前に春だと書いたけど、さくらの花もすっかり雪で覆われしまった。気温も0度。寒い。けれど明日は12度。この水っぽい雪はさっと溶けてしまうだろう。

12th Apr 2020

ヒマなのでネットでの買い物に夢中になってしまう。けれど、あまり必要のないものも買ってしまうので、そこは注意しなければならない。最近、自宅での録音が必要となりそうなので、手持ちのシュアーのマイク用の備品を買い足した。携帯できる小さなスタンドと器機を接続するための端子。それと、ファックス電話とキッチン計りが調子悪いので買い替えた。さらに、コロナ騒ぎで店頭から消えてしまった次亜塩素水を自作しようと、その素となるものも買ってしまった。これだけはまだ届いていない。ま、これらは絶対必要かと言われると、そうでもないから困ってしまう。あると便利という程度かもしれない。けれど、品定めに夢中になってしまうと時間があっという間に過ぎてしまう。この時間は勉強の楽しさに近い。ちなみにこの中で一番刺激的だった商品は、手のひらに乗る小さな計量器。測定精度は0.1g。量は1kgまでというから半端じゃない。キッチン用じゃなく、宝石のような小物や少量の粉末を計るもので、昔は化学室にあった小さな天秤の現代版電子機器のようだ。それをキッチン計りとしても活用しようというのだから、私は欲が深い。夢も膨らんだ。そして、手にして驚いた。風袋を工夫すれば300gの小麦粉も、数グラムのイースト菌や次亜塩素水の原料もこれで測れる。最初、1円玉3個を載せたら、3.0という表示にホントかと思った。これが安価なキッチン秤より安い1000円なのだ。100円ショップの買い物に近い。それと勉強になったのは次亜塩素水の周辺事情。これは様々な薬の枠から外れる。一昨日国会で、これで手指消毒が可能かという質問に役人が確認してないから認められないと苦しい答弁をしていた。一方でアルコール不足のおり、茨城の自治体がこの安価な素材で作られた大量の次亜塩素水が無料で配られた。要はプール用にも用いられる消毒剤で濃いめに作っただけだ。管理が難しいから「自己責任」でということなのだが、そこは自治体が責任をもつということだろう。それぞれ持参した透明のペットボトルに配られた次亜塩素水は、時がたつと水になる。このサービスで使われた原材料費は1万円もしないと思う。そして、なによりも次亜塩素水はアルコールよりも確実にウイルスを殺すという。

11th Apr 2020

緊急事態宣言で、ライブハウスも閉ざされ、東京の行きつけの酒場からも臨時閉店の知らせが届き、外に出かける理由がなくなった。同時に気候が急に変化し、高原の春を楽しんでいる。フキの芽がすっかり大きくなり、例年の位置にスミレやカタクリの小さな花が咲き出した。木の芽も出てきた。ここらはまだだが、街に下ると富士桜の花が咲き、場所によってはソメイヨシノも咲きだした。東京に比べると遅いのだが、すっかり春で、この楽しさは世界の喧噪を忘れてしまう。

4th Apr 2020

日本もこの一週間ほどの感染者の増加で事態を深刻にとらえる人が多くなった。街に人がいない。先月末に東京に出かけた帰りの高速バスで、乗客は私一人という経験をした。運転手に聞くと、定期バスだから無人でも運航しなければならないが、さすが一人は初めてだと笑った。途中誰も降りない、乗車バス停もないので、私の降りる終点河口湖まで、そのまま走り続けた。

25th Mar 2020

コロナ・ウイルスが予想を超える展開になった。世界の医療システムの脆弱さに驚いている。むろん、完璧なシステムなどは存在しない。困難と向き合う武器は限られているが、最終武器は人類を存続させてきた人間の身体にある。

3rd Mar 2020

昨年の1月、リハビリ病院に入院していたとき、インフルエンザで隔離状態を経験した。私が患者ではなく、2人部屋の同室の人が、ある朝発熱し、検査したら1時間後インフルと判明し、たちまち私は別室に移動させられ、タミフルを処方された。その後も私には別条なく、月末には退院ということになったが、こういうことはほぼ毎年、1ヶ月かそれ以上の期間、行事のように行われるという。インフルと判明すると、医師や看護師長らが集まり、どう対応するか決められ、警戒解除も同じように決められる。とりあえずその期間は強制的に全員マスク着用だ。現在のコロナ・ウイルスとは警戒度がすごく違うだろうが、やることは同じようなものだろう。早く解除してほしいと願うあの鬱屈した閉鎖空間をこのところずっと思い出している。

28th Feb 2020

昨日の続きだけど、書きそこなったことがひとつあった。いわゆるパンデミックの対応で、アメリカにはあるCDCが日本にはないことだ。確かに患者が殺到し医療体制崩壊の危機的な状況には強権をもった組織が動いた方がいい。中国の今回の対応もそういうものだろう。よかったか悪かったかは別にして…。クルーズ船にはそうした対応が必要だったかもと思うが、英国船籍ということで、難しいことがあるようにも思う。しかし、今日の学校の春休みまでの休校要請には驚いた。早速千葉市長が困惑のツイートを出し、対応の難しさを言っていた。子供の保護の為、賛成する意見が多いが、働く親にしてみれば、一人にする危険を考えてほしいと思うだろう。臨時的に集団を組織し対応するしかないけど、感染の危険度を増すことになりはしないか。第一、今回は子供の感染が少ないという不思議なデータがある。結局、市が対応することのようだが、この若い千葉市長は常識に流されないなかなかの政治家のようだ。

27th Feb 2020

このところニュースで伝えられるのは、ほとんどが新型ウイルスの話ばかりで面白くない。むろん、関心がないのではなく、毎日、コンピューターを開くと、感染者数や死者などの最新データを確認することから始まり、そして、この騒ぎに揺れ動く経済指標を観察する。TVなどのマスメディアはタイトルだけを見て、その先には関心がない。現状認識を悲観派と楽観派で分ければ、大まかに言って悲観的に騒ぎ立てるマスメディアとは違い、私は楽観派に属するのだろう。たとえばウイルスの数値の動きを見ると、どうも震源元の中国は、ピークを打ったという判断を始めたように思う。むろん、中国が発表する数字をそのまま信じる人は、当初からいないだろうが、数値の動きの背後にあるものを推測すると、そんな感じなのだ。現在、世界の話題はイタリア、イランなどの世界的拡散に集中していて、これからも極所的な混乱が起きる可能性があるけど、今のところこのウイルスによる死者は体力のない高齢者に集中していて、日本でもこの程度の死者は、例年のインフルエンザと変わりないと医療関係者から知らされた。現在、アメリカでは1万を超す人がインフルエンザで亡くなっているが、今年だけの特段の猛威ではないという。武漢ウイルスの死者は今のところ3千。むろん、中国発表のこの数字を信じるわけにはいかないが、よく言われるようにこの両大国は保険医療体制に問題があり、手当を受けられずに野垂れ死にする貧困層がある。ジャズの世界でも、ビリー・ホリデイの最後が病院の廊下に放置されていたという話や、病気で苦しむ高名なミュージシャンを救うために世界中に寄付を呼び掛ける運動があったりする。巨大国家は、こうしたことに対応するようには出来てないのかもしれない。

11th Feb 2020

武漢コロナウイルスの話でもちきりだが、なかなか正体が分からないので噂話が蔓延している。この手のものは、もともとそういうものらしいので、実にやっかいである。そんなわけで、私なりの見解もあるけど、自信がないので、ここに書きたいとは思わない。富士山麓に住んでいると、たまに買い物に出かける以外はほとんど人と触れることがない。そういう意味では、違う世界の話のようだけど、ただ一つだけ困ったことがある。それはここが海外の人たちが集まる観光地なので、たまに東京に出かけるときは、一気に危険度が高まる。バスの行き来は、最悪というべきか。1月に3度東京に行ったけど、一度は中国人家族らしき人たちと席が隣り合わせになった。まだ、そんなに話題になってない時期だったけど、やはり、これはまずいと思った。3度目の帰りのバスは、前方の席に日本人が散らばり、海外の観光客は後方に散らばっていた。普段こうしたことはほとんどないのだけど、どこかで暗黙の線引きをしているのかもしれない。

22nd Jan 2020

数日前から風邪気味だ。鼻水がポタポタと落ちてきて止まらない。24日には川崎の渡辺香津美の公演を観に行くことになっているので、ちょっと心配だ。ところで、何年か前に川崎に行ったとき、その変貌ぶりに驚いた。東京の街は、どこも風景が変わり、別世界のようだ。いや、別世界と言った方がいい。私が住んでいた街ではないとした方がいいようだ。歩いていると、私は誰なんだとしきりに思う。むろん、ずっと住んでいればその変化を当たり前に受け入れるんだろうが、違和感の方が先に立ってしまう。そして、この違う世界にいるという感覚は、今、この世界を考えるとき、新しい鍵のようにもなっている。

20th Jan 2020

このところの寝酒は、郡山で作られた963というウイスキーを飲んでいる。昨年、FM福島の放送収録で出されたウイスキーがうまかったので、スタッフから暮れの贈り物として頂いたのだ。スタジオで飲んだのは20年以上のモルトが入った特別品で度数も60度とかなり高かった記憶がある。実際、チビチビ飲みながらの収録も後半に入ると、さすが少し酔いが回った気がした。放送中の酔いは昔も今も全くないわけではないけど、いいとはいえない。しかし、酔いとは結局後から気づくわけで、基本飲まないが正しいのだけど、アルコールにある程度自信があると、少量ならとチビチビとやってしまうのである。ところで、日本のウイスキーが海外で大評判で、どうも原酒が底をつきそうだという話を聞く。この福島産ウイスキーも海外の評価も高く、おかげでかなり高い価格で取引されている。味がその値段に見合うかどうかはその人次第だけど、でも、日本のモノづくりのこだわりと技術力は、あらためてすごいものだと納得させられる。ウイスキーならではの個性をしっかり主張しながら、バランスがとてもいいのだ。いただいたものは普及品だけど、黒と赤があって、私としてはスモーキーな黒が好きだ。価格的にイギリスのモルトと変わらないけど、いい勝負をしていると思う。ビールは、家の近くの蒸留所が素晴らしいが、ワインは、もはや高くて手が出ない。

17th Jan 2020

年末から海外の動きが慌ただしく、いろいろな情報に注目している。それにしてもマス・メディアが、殻に入り込んだようで重要な情報を伝えなくなったのは何故だろう。知らないわけでは無かろうに、不思議に口をつぐんでいる。これまでの常識が通用しない大きな時代の変わり目にあるような気がする。

28th Dec 2019

結局、22日の深夜に41pの積雪を記録した。東京だと雨(雪)の量は積雪につながらないが、ここは降った量はそのまま積雪になる。気温が低いからで、舞い降りた雪はそのまま細かな氷となって、いわゆるパウダースノウになることが多い。この雪は手で握っても固まらずにパラパラと崩れる。だから、雪合戦ができない。さらに雪だるまもできない。都会育ちなので、これが最初面白かった。ところで翌月曜日は、新宿で山下洋輔のイベントを取材することになっている。雪かきが出来ないと東京に行けないので、かなり焦った。結局うまくいって2時過ぎの新宿行きのバスに乗り、4時過ぎには会場近くのフレッシュネスバーガーで時間をつぶすということになった。数時間前まで雪と格闘していたのに、目の前の都会の当たり前の風景にすっかり溶け込んでいる自分に驚く。雪は昨日の雨で20pまで溶け、今は17p。枝にかかった雪はすっかり溶け、雪景色というわけにはいかない。

22nd Dec 2019

夕方、買い物に出かけたら、帰り道はみぞれ模様で、夜になるとそのまま雪になった。10時過ぎの積雪量は21pを記録。しかし、近くの測候所のこのデータは最近疑問に思っている。機械が壊れているんじゃないか。体感と微妙にずれがあるからだ。観測とか実験というものに関わった経験があるものなら分かってもらえると思うのだが、こうしたデータはなかなか正確にはいかないものだ。温度計売り場に行くと、たくさんの温度計が見事に違った数値を示していて、どれか正確なのか誰も分からない。計器がいいかげんということもあるけど、置いてある場所の微妙な違いも影響があるように思う。ま、そういうものだと納得しなければ、話は先にすすまない。温度計ならまだしも、湿度計にいたっては計測値がおそろしくばらばらで、そうした簡易的な計器を買う意欲が失われる。おそらく耐久性という点でも信用ならない計器ではないだろうか。こう書きながら実は一昨日書いた文章が実にいいかげんであったと後悔している。軽く酔っぱらいながら勢いで書いたものだから、終わった直後から自分でも信用ならない代物と気づいてはいたのだけれど…。この世界の事象は実に複雑で、様々な頼りないデータをもとに様々に推論を重ね、結論らしきものを絞り出すしかない。科学とはそういうものでしかないわけで、様々な説があって当然なのだ。けれど、ときに思いもかけない世界がたちあがるのも科学の不思議だ。10代の頃、ある数学者の特別講義で、簡単な数式で特殊相対性理論を説いて見せられたとき、まるで手品のように驚かされた。で、温暖化なのだけれど、知人の専門家によると、最近は否定派の科学者の方が多くなっているのだそうだ。下世話な情報だが、妙に納得し安心してしまうのだから困ってしまう。どうしようもないことだが、科学は信心でもあるようだ。

20th Dec 2019

12月になっていささか忙しくなった。昨年末は入院生活で、ベッドで原稿を書いたりしてそれなりに忙しかったが、動けるようになっても相変わらず多忙の年末で、これは変わりようがない。やらねばならないことが次々と沸き起こり、これは生きていることの証だとか、定めなどと受け入れるしかないのかもしれない。ま、そんなぐちを言いながらも、興味がわくと調べものに夢中になってしまうのも、人の定めなのだろう。で、気づいてしまったことなんだけど、地球の激動の歴史の中で、今危惧されている温暖化などというのは小さなことでしかない。地球物理学などという学問があるとすると、大気中の炭酸ガスの濃度が今よりはるかに高い時代があって、その炭素が光合成を経て植物を育て、そうして生まれた膨大な生命の死骸が、今掘り起こされ使われている炭素エネルギーなのだ。あの話題の少女は、ベジタリアンだそうだが、炭酸ガスが少なくなると植物が育ちにくくなる世界になることを知らねばならない。もうひとつ、人類ということで言えば今ともにある生物とのこの共同世界は、こうした地球の歴史のほんの一部の話でしかない。

29th Nov 2019

昨日はマイナス6.7℃まで下がり、12月下旬の気候となった。今日は日中もマイナスで一気に真冬の寒さだ。夕方、買い物と車のガソリン補給の為に300mほど下の街に出向いたが、下は雪が降らなかったようで、屋根に雪を積んだ車は私のしかなく珍しがられた。ガソリン・スタンドでは、注入口の蓋が凍ったまま開かなく、慌てて事務所でドライバーを借りた。本当はお湯で溶かせば楽なのだが、まだ、その準備もしてないようだ。昨日は甘く見たが、今日は水道の水抜きをしなければならない。一旦凍り付くと水が使えなくなるのだ。世界中が地球温暖化でヒステリーになっているが、こういうとき、これは壮大なデマかもしれないと思えてくる。確かに海水の温度が上がり、海流の流れが変わって漁獲量が激減しているけど、この程度の変化はよくあることという学者もいる。結局、壮大過ぎて真相は分からないというところが、この国際問題のミソなのだろうか。人類の無知さは、まだまだ使い勝手がある。

28th Nov 2019

初雪。昼頃、雪交じりの小雨。これはまだ積もらないだろうと思ったが、夕方には6cmの積雪となった。その後も少しづつ増し、深夜には11cm。雪が溶けないのは温度も低いからで、日が変わる時刻にはマイナス4度にもなった。突然の真冬である。ベランダに置いてある餌を啄みに来た小鳥もどこか驚いている。

18th Nov 2019

久しぶりに新しいコンピューターを買った。安くて軽い持ち運びが容易な小さな機械だが、性能は悪い。昔はこういうのは概して高価なものだったが、今はこの会社の最低レベルにランクされている。最低レベルとは、むろん、性能の悪さに集中している。と言っても高性能を必要とするゲーム遊びをするわけでもなく、巨大なファイルを処理する目的もないから、私には、この最低のレベルで十分なのだ。重量1kg強、画面11インチ、A4サイズという手軽さだが、正直言うとサイズはもっと小さくてもいいと思う。けれど、ディスプレイが大きいのが時代の趨勢なので、小さいとむしろ高くなるかもしれない。さて、この新しい機械の魅力は記憶装置で、これまでの回転部のあるHDDに変わり、半導体によるSSDを採用していることだ。私には本格的にこれが入った最初の機械で、時代の流れを痛感させるものである。しばらく前からこの記憶装置が急速に価格が下がってきたのをみていたが、この最低価格の機械にも導入されたのが驚きだった。正直言うと、実は初期のSSDが入った機械を大分昔にもっていた。しかし、記憶容量が極端に小さく、使い物にならなかった。当時は外部記憶装置も容量が小さく、1ギガバイトの時代だった。この新しい機械にmicroSDカードも入れたが、32Gが1000円もしない。ちなみに私が使うソフトと原稿などのアーカイーブ全て含めて10Gもない。いろんな意味で、私は時代に取り残されているのかもしれない。

1st Nov 2019

部屋を整理していたら、視聴用のオーディオ装置のスピーカーケーブルが古いウェスタン・エレクトリック製であることが分かった。機械の後ろなど普段見ないからすっかり忘れていたのだ。調べてみたら最近復刻版が生産され、飛んでもない高価で取引されている。それだけの銘品ということなのだろうが、実際友人の小さな遺品として譲り受けたこのコードをたまたま仕事部屋に新たに設置した装置に使ってみたら、それまで気に入らなかった小型のJBLのモニター・スピーカーが、なかなかいい感じで鳴ったので、友人はいいものをもっていたんだなと納得した。それまでは仕事部屋での視聴は、ソニーのヘッドホンで長い間済ませていた。友人の話だと、コードの値段は当時恐ろしく安いものだったが(おそらく現在の復刻版の10分の1以下)、これを取り付けてくれた人がアンプ作りの名人だったそうで、スピーカーに半田付けしたあと、その脇に署名をしてもらったと自慢気に話してくれたのを思い出す。その名人のことを調べてみたら、偏屈だがなかなかに面白い江戸っ子で、どこかで友人は知り合い、そんな作業も気軽にやってくれたのだろう。その人のアンプは、今も恐ろしく高価で取引されているが、ネットでその人が配線したアンプの写真をみると、抵抗などのパーツもかなり古く懐かしいもので時代を感じさせる。しかし、それもまたクラシカルなオーディオの味わいなのかもしれない。ゆるくよった赤と黒の細いスピーカー・ケーブルを見ながら、かつてこのケーブルをシーメンスのコアキシャル・スピーカーに半田付けし、皆で和気あいあいと視聴していたであろう友人たちの楽しい時間を想像してしまった。

17th Oct 2019

15日の東京入りは難渋した。これまでの最高記録で5時間も掛かってしまった。高速やJRばかりではなく、一般道の国号20号線も止まっているから、地域の生活は困難を極めているだろう。災害支援の標識を掲げた何十台もの自衛隊の重機車と御殿場付近ですれ違った。汚れてなく新車のように随分と奇麗だったのが印象的だった。おそらく戦争では使われることのない一般の重機をしっかり準備している今の自衛隊は、国土保安隊でもあり、災害の多いこの国では、もはや当たり前の存在のようだ。富士山麓にはこうした自衛隊の基地がたくさんあって、スーパーやコンビニで迷彩服を着た隊員たちのショッピングも毎日のように遭遇する。遠くに演習の爆発音も聞こえ、緊迫感とともに慣れっこになったのか、どこかのどかさが隣り合わせで、何か客観的にこの世界を考えられる気がする。

14th Oct 2019

台風、ラグビー、東アジア、何とも慌ただしい世界だ。明日は久しぶりの東京だけど、台風による崖崩れで中央高速が止まり、東名から入らなければならない。いろいろ面倒なことがあるけど、動き出すのは悪くない。

22nd Sep 2019

昨日の夜の気温は11℃で、東京との差は10度もあって、改めてここの寒さを確認した。それでも昼には15℃になり、やはり秋ということになるが、東京は25℃なので、まだまだ夏なのだ。こういう温度帯の中のズレに、人は季節の違いを感じるのだと思うが、概して都会人は気温の変化をがまんしてしまうと思う。寒い地方の人が東京に来て、何と寒いんだろうと思うようだが、それはがまんすることなく必要に応じて対応しているからだ。昔は東京でも厚手のオーバーを着ていたが、いつのまにかコートはレインコートでもよくなってしまった。縦横に走る地下鉄は暖房が効き、脱ぎ着のことを考えると面倒なのだ。NY帰りのミュージシャンと会うと、とんでもない厚手の重そうなコートを着ているので、最初はこれはファッションなのだと思っていたが、その内、冬のNYは飛んでもない寒さなのだと分かり、同じ都会でも違うんだと納得した。こんなことをだらだら書いていたら、ふと岩浪洋三さんのことを思い出した。おそらくジャズ・レコードの解説を一番大量に書いた人が岩浪さんだが、何故か天気図を収集している人と聞いたことがある。ジャズの執筆に関してはいいかげんで、音を聴かないで書いたような原稿もあって、仕事と言ってもこだわりとはほど遠い人だった。実際、岩浪さんは、むしろそういうことと距離を置くのが信条だったと思う。そうしたある種の無頼の精神が岩浪さんのジャズだった。あるとき岩浪さんが客席でイヤホンを耳にしながらステージを観ていたことがあった。「ジャズのステージは大したことは起こらないけど、プロ野球は一体何が起こるかまったく予測できないからね」と笑った。残念なのは、そうした岩浪さんの姿がその文章から伝わることなく、ほとんど残ってないことだ。

20th Sep 2019

すでに秋である。近くの国交省の測候所によると、今、12℃だから、ストーブを点けてもいい寒さだ。つい最近まで短パンとTシャツで過ごしていたが、そのときも夜寒くなると、着替えるのが面倒でストープを点けた。この話をすると都会の人は笑うけど、昼と夜は、それくらい寒暖の違いがあって、臨機応変に対応するというわけだ。昨日は東京に行ったが、ポロ・シャツ一枚で過ごし、帰宅した深夜に、早速、電気毛布のスイッチを入れた。そうそう、北海道では真冬にしっかり暖房の効いた部屋でTシャツで過ごし、アイスクリームを食べるという話があるが、そうだろうなと思う。

17th Aug 2019

ウェッブで、女性モデルがローライ35Sをもった高級ホテルのバナー広告を見て、今でもおしゃれな小道具として通用するんだと懐かしくなった。これが私が最初に手にしたカメラで、レコード会社のSさんから中古で譲り受けた。買値は忘れたが、今の中古カメラ店の価格より安かったと思う。35mmフルサイズで手のひらにのるこのカメラを首から下げ、長い間愛用していたのは、やはりデザインの秀逸さで、さらに細かな作りに職人精神も感じた。これで大丈夫なのかと思うような小さなバネひとつで全体の機能を支えるなんてことが信じられなかったけど、技術とはそういうものなのだ。ローライ35が高い評価を得ているのは、ツァイスのレンズを使用している面があるけど、これは設計だけだし、それにこのカメラ全体のコンセプトの中でレンズへの要求はあまりないと思う。もはやカメラとしてはおもちゃだけど、小道具としての楽しさは別格のものがある。デザインが大切なのだ。もっとも、デザインは、その当時の技術と連動して生まれるということも重要だろう。最近、フォルクスワーゲンのビートルが生産終了というニュースがあったが、今のビートルには関心がない。中身が変わっていて、外は昔の面影を残したというだけである。同じことがイギリスのミニにも言えるけど、これも感心しない。私は昔のミニに10年乗っていた。さすがにいろんなところにボロがでてきて、国産車に替えたが、新車のボンネットを開け、これがキャブレーターですかと聞いたら、販売店員がドギマギしていた。もはやキャブレイターの時代ではないんだと気が付き、恥ずかしくなった。この車も10年以上乗ったが、最後に空調の電子基板が壊れ、替えがないというので廃車にした。(今、考えると部品取りという手があったはずだが) こういうのは技術の問題ではない。腹が立った。

10th Aug 2019

渋野日向子がAIG全英女子オープンで、樋口久子以来、42年ぶりの劇的なメジャー優勝をとげたのを中継で見た。ゴルフの中継はほとんど見ないのだが、このときはたまたま深夜にチャンネルを回して遭遇したのだ。むろん、この愉快なスポーツ選手のことはまったく知らない。とにかく若く実績もない選手だが、始終笑いながらコースを巡り、フェアウェイでの待ち時間に駄菓子をガチ食いする姿に不思議な才能を見た気がした。横綱鶴竜も言っていたが、この中継での渋野の姿と同じくらい驚かされたのは、解説をしていた樋口久子のあきれるほど見事なコメントだ。この試合の勝負所はふたつあって、一打差で先行する選手が、17番ホールで入れれば勝負あったと思われた程よい距離のパットを、これは危ないと樋口は予告し、その通りになった。そして、最後の渋野のロング・パットを(勝利が)「現実になりますよ」と笑いながら予言したのだ。このとき、おそらくほとんどの人は、成功せず延長戦になるだろうと思っていたと思う。しかし、渋野にはそんな考えはなく、延長戦は嫌だ、ここは一発で決めたい、外したら3パットで負ける方がいいと思ったと試合後に語っている。ゴルフは精神力の勝負だとも言われている。微妙な迷いがミスを誘発し、ガツガツ行くものが運を引き寄せる。むろん、それを可能にする土台の実力がなければいけないが、こうした勝負の最後の暗闇のドラマを樋口久子は何十年も観てきたのだろう。笑いながらの彼女の見事なコメントにそんな闇の観察者のすごさが伝わった。そうそう、渋野が食べていた話題の「タラタラしてんじゃねぇよ」を数日後スーパーで入手しました。(笑) 小袋ひとつ45円。子供の駄菓子です。酒のつまみにもいいとありましたが、このジャンルのものはすべてそうでしょう。ちなみに私は中野物産の「おしゃぶり昆布・梅」が欠かせません。

3rd Aug 2019

NYのライトの建築と言えば、セントラルパーク脇にあるグッゲンハイム美術館だろう。ある年、仕事でNYに行ったとき、この有名な美術館で、たまたまロシア・アバンギャルド展(正式な名は、思い出せない)をやっていて、何て幸運なんだと思った。この円形の美術館は、勾配のある回廊式の展示で知られ、ぐるぐると何度も上り下りしたのを思い出す。企画は網羅的で、ポスターから工業デザインまで革命初期の様々な領域の自由闊達な表現が展示されていた。そうした表現者の一部は、その後西側に逃れ、ハリウッドなどで活躍するが、それはここでは割愛。20世紀の歴史で見逃すことのできない一シーンである。表現の歴史で言えばその荒々しい雰囲気はダダイズムということになる。その後このエネルギーはシュールレアリスムに収斂されるが、どうもコンセプトが纏まると、勢いがつくと同時に限界も見えてくるものである。ともあれ、この企画に興奮した私は、分厚い高価なカタログを2冊購入し持ち帰った。最初はダダイスト清水俊彦さんへのかっこうのお土産と思い一冊買ったのだが、やはり自分も欲しいと思って後日グッゲンハイムを再訪した。余談だけど、当時グッゲンハイムに新興の高級食料品店ディーン&デルーカが入って評判だったが、ソーホーのブロードウェイに店があり、そこに何度か通った。近くにグッゲンハイムのアネックスもあって、その関係があったのかもしれない。当時まだ日本では塩の専売制があり、ディーン&デルーカの世界の塩を集めたコーナーに長時間夢中になってしまったことがある。その姿は周りの人にも異常と思われただろうと同行の人に言われてしまった。それからしばらくして、丸の内にディーン&デルーカの店を車の中から発見し、びっくりしたことがある。ただ、今ではたくさんあるこの店にほとんど入ったことがない。ずっと昔のあのソーホーの店での時間がすべてでそれ以上のものはないと思った。

2nd Aug 2019

フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルが解体されたのが1968年だそうで、旧帝劇が無くなった4年後ということになる。新しい帝国ホテルはほとんど馴染みがないが、ライトの旧帝国ホテルには、懐かしい思い出がある。正面から入ると広いロビーがあって、その左側の廊下をずっと行くとカジュアルな設えの軽食もできる広い喫茶店があった。むろん、そこはライトの設計ではない。人と待ち合わせをしたりしてよく使っていたが、その場合正面から入るよりもホテルの横の道からの入り口を使った。記憶が確かなら、解体工事のときもそこは営業が継続されていたと思う。だが、懐かしいのはそこではない。旧館の通路の途中に、何故かあった小さなバーだ。外の通りの側にボックス席があり、人が通る小さな通路を挟んでカウンターのようなものがあったんだろう。銀座の安い居酒屋で飲んだ後、私たちはよくそこのバーにはしごした。面白いのは、給仕する人が和服を着たちょっと老いた女性で、それが帝国ホテルらしいと思った。年号を振り返ると私たちはまだ20歳前だったと思う。もしかすると高校生だったのかもしれない。今の常識では完全にアウトだが、当時はそんな難しいことは言わない時代だったのだ。料金はそんな私たちでも楽しめるもので、おばさんたちも親切に相手をしてくれた記憶がある。かつて麻生太郎が毎夜のようにホテルのバーで呑んでいたのを贅沢だとメディアに非難されたとき、麻生は、ホテルのバーはリーゾナブルな料金だと反論したことがあった。このときは麻生に味方したくなった。さて、思い出のライトの帝国ホテル玄関は、明治村に移築されているが、まだ行ったことはない。ライトの作品で面白いと思ったのは、滝を利用したカウフマン邸でアインシュタインが泳いで遊んでいる映像を見たことがあった。しかし、ハリウッドで建築の仕事をしている大学時代の友人に、ダメダメ、あれは欠陥住宅と切り捨てられ、ビックリしたことがある。

1st Aug 2019

子供の頃、帝国劇場に何度か行ったことがある。といってもミュージカルを観たわけではない。1964年に閉鎖された旧帝国劇場に映画を観に行ったのだ。この旧帝劇がなくなったときは、子供心ながらちょっと哀しくなった。エントランスから格式があり、床は赤い絨毯、大理石作りのヨーロッパ風の作りだったと思うが、ウェブで写真を捜しても見つからないので、確かめられず残念だ。四角いビルの新帝劇にはほとんど興味がない。旧帝劇は、むかしは演劇をやっていたが、子供の頃は映画館で、シネラマという新方式の映画を上映していた。その後70mm映画となり、それも何本か観たと思う。シネラマは、今は観ることができない。湾曲した巨大なスクリーンに3台の映写機で映し出されるスペクタクル映像なのだが、3分割された映像の切れ目がうまくなく、ミシシッピの川下りなど迫力ある映像は、3台のカメラが揺れてうまく接合されていない。それでもシネラマの巨大スクリーンは、見世物として一定の人気を博していた。そんなわけでシネラマは、劇映画ではなく、ドキュメンタリーだった。TVがあまり普及していない時代にこの世界の姿を迫力あるカラー映像で見せるというのがシネラマの売りだった。余談だが、このドキュメンタリー映画の流れは、その後イタリアのヤコペッティ監督の『世界残酷物語』へと受け継がれる。視点が猥雑で、いわゆるヤラセの演出もあったりしたようで評判は悪いが、これが大ヒットとなった。副産物として、主題歌「モア」がアンディ・ウイリアムスが歌うようなスタンダード・ソングになっているが、私には夭折した現代絵画のイブ・クラインの代表作の制作現場のドキュメントがここに収録されているのが貴重だと思う。いずれにしろ、当時の人は、こうしたちょっといかがわしいたくさんのドキュメンタリー映像作品で、この世界を体感したわけで、そうした好奇心は今の世界を旅するTV番組に受け継がれていると言ってもいいのかもしれない。スティールパンは、私にはそんな昔の映画のどこかで見た記憶として残っている。

29th Jul 2019

こないだスティールパンのアンディ・ナレルのステージを観に行った。このステージ評は日経新聞に書くので、ここはスティールパンに就いて書きたい。これはトリニダード・トバゴで生まれた楽器で、とにかく音が魅力的だ。ドラム缶から作られた楽器で、ブリキ板を震わせるアフリカの楽器にように、その素朴さも魅せられる。戦後に生まれた最後の楽器という言い方もある。映画『バグダッドカフェ』の主題歌「コーリング・ユー」が大好きだが、この作曲者ボブ・テルソンがこの楽器に魅せられ、自分も演奏し、毎年開かれるスティールパン・フェスティバルに参加するのを楽しみにしていると当時何かの文献で読んだことがある。流浪の現代音楽家テルソンの素顔を伝えるエピソードではないかと思う。テルソンのアルバムを一枚もっている。他にあるかどうか分からない。とにかくそのアルバムで、テルソン自身が「コーリング・ユー」を歌っていて素晴らしい。ラジオでこの曲をかけるとき、必ずこの作曲者自身のヴァージョンを選ぶ。ジャズ・シンガーの有名なものもあるし、映画バージョンもあるけど、テルソン自身が語りかけるこの曲の世界には表現の迷いがない。=つづく=

28th Jul 2019

閑かさや岩にしみ入る蝉の声  芭蕉の『おくのほそ道』の山形の立石寺での一句だが、かつてこの蝉はなんだという論争があったそうだ。アブラゼミかニイニイゼミか、さらに一匹か複数かということも論議されたようだが、安東次男は、そんなことどうでもいいという。この句には、すでに様々なバリエーションがあって、芭蕉はここで結論をつけたということのようだ。つまり、この詩的世界の完成形がこれなんだという。こうした見方がもっとも正しいように思うが、ただ解釈はいくつあってもいいとも思う。昔、京都東寺の境内を歩いていたとき、夥しい蝉の声に圧倒されたことがある。そして、ふと芭蕉の閑かさとは、もしかしたらこの喧噪のむこうにあるものを聴いていたのではないかと思った。『おくのほそ道』には、壮大な宇宙観、あるいは透徹した世界観が広がっている。アメリカの周期蝉のドキュメンタリーで、あまりのセミの鳴き声の大きさに生活がままならぬという住民の苦情があったが、これはノイズの暴力ということだろう。そして、ノイズと言えば、かつて即興演奏者にこの謎めいたノイズ世界への関心が集まったことがある。たとえば、ノイズなしにはジャズはないとか、ノイズは想像力の源泉とか…。そういえば、フランスの哲学者の本もあったなぁ。

25th Jul 2019

ヒグラシが鳴いていた。俳句では秋の季語とされ、晩夏に鳴くセミと思っていた。何かそういう風情のある鳴き声だからだ。東京に住んでいた頃、よみうりランドのジャズ・フェスで聴いた思い出がある。下町の住人には珍しいセミだったこともある。調べてみると、実は梅雨の頃から初秋まで鳴き続けるセミという。ここは高地だから、もう秋と勘違いして鳴いているとずっと思っていたのだが、勘違いは私の方だった。セミと言えば、長い周期で大量発生するセミの話を思い出し、こちらも調べてみた。周期ゼミ、さらにはその周期が13,17年で、素数ゼミともいう。北アメリカしかいない。むかしそのドキュメント映像を見たことがあるが、確かに尋常じゃない突然の大量発生で、住人が困っている様子も映し出された。ただこのセミは一種類がこの周期で発生するのではなく、それぞれいくつかの群に分かれ、違った場所に違った年に発生する。ボブ・ディランの『新しい夜明け』という1970年に出された第11作の2曲目に「セミの鳴く日」という曲がある。これはこの年にプリンストン大学で出会った17年周期の素数ゼミの大量発生がきっかけで生まれた曲だそうだ。17年周期のセミの中にはすでに絶滅、あるいは絶滅が危惧されている群があるが、このときディランが出会った年の群はとくに巨大で、次は2021年ということになる。

18th Jul 2019

昨日の続き。今日の朝ドラでは、セリフにスイングジャーナルという言葉が登場し、さらに驚いた。このドラマにはモデルがないと言われているが、急に思い出したのが立花実だった。すでに他界していたので面識はなかったが、コルトレーン・アドマイアラーだった。それとは別に、このドラマはアニメーションがテーマだが、この世界にも少し友人がいた。高円寺にあったジャズ喫茶洋燈舎の店主がアニメ界の人だったが、よく一緒に尋ねた友人もたくさんの有名なTVアニメの絵コンテや演出、監督をしていた。酔うと、オレは宮崎駿より絵がうまいと言っていたが、信用はしなかった。彼の演出するアニメはTVでよく観ていたけど、実際に描いた絵を見る機会が一度もなかったからだ。

17th Jul 2019

朝ドラを観ていたら、主人公の妹の恋人がジャズ評論家という設定でビックリした。昔からドラマで扱われるジャズのイメージに激しい違和感しかもてないが、今回はあまりに身近過ぎて、役者の演技、セリフに笑いがこぼれる。我慢して観るしかないが、あまり登場しないで欲しいと願う。

14th Jul 2019

相変わらずの雨降りで、コンピューターの画面をみているが、いささか飽きてきた。世界はそれほど容易に変容するものではない。進む局面もあれば、後退する局面もあり、勝ち負けの結果はそれほど重要ではないのかもしれない。スマホが普及し、それほどの需要はもはやないんじゃないかと思っていたが、数千円の安価な携帯がアフリカなどの新興国で爆発的に売れているというニュースを聞くと、そちらの方が想像力を刺激する。

12th Jul 2019

1ヶ月半程の入院生活から帰ってきたら、家の周りの風景が緑一色で驚いた。この時期の季節の変化は激しい。毎年楽しみにしていたエゾ春ゼミの声も聴けなかった。山椒の実の収穫には間に合った。しかし、このところ、雨降りばかりで、初夏の楽しみがない。むしろ、寒いぐらいでストーブをつけたりしながら、1日コンピューターの画面ばかり観ている。メインは進行中の日韓問題のニュースだけど、そこからいろんな思わぬ世界に飛んでいくのが楽しい。昨日は、かつて何故か定期購読していた日刊工業新聞関連のページに飛び、楽しく時間をつぶした。かつては2000人位いた社員は500人ほどに縮小され、しかも若い記者が活躍している。一見専門分野の特殊な人々のように思われるけど、まったくそうではないのが面白い。この日本を動かしている様々な先端的世界を理解するには、十分な好奇心と当たり前の常識と知識を武器に勉強さえすれば、そんな難しいものではない。

21st Apr 2019

気温が上昇し、一気に富士桜が開花した。ツツジはまだ咲かない。ソメイヨシノも3分というところだろうか。相変わらず殺風景な木々の間に、背の低い富士桜の小さなピンクの花びらが、程よいイルミネーションのような化粧となって、点々と遠くまで広がり見える風景は、ちょっとした幽玄の世界である。

20th Apr 2019

携帯・スマホの環境を改善しようと、いろいろ調べているのだが、なかなか着地点が見つからない。機械は少しずつ進歩しているようだが、すでに数年前に進化の飽和点に達しているように思う。世界的に携帯の売り上げが鈍化しているようだが、それと関係しているのだろう。5Gがどうのこうのと言われるけど、必要とされるのは一部の世界で、4Gでも十分だし、私のスマホは、今だ3Gで新興国状態だが、それで大して困ることもない。この世界は、日本は独自の環境を作っていて、使い方が実に煩雑で不便だ。特に料金体系は、何とか人を騙してやろうと考えこんだような複雑かつ不毛な世界で、まったく話にならない。こういうのはテクノロジーを後退させるシステムだ。sim一枚を差し替えるために、こんなにハードルを高くして、無駄にエネルギーを消耗させるのは、現行のシステムがすでに陳腐化しているとしか言いようがない。大体、simは必要なのかと思う。発想を変え、新しい技術がこの世界を大胆に変えるべきときだと思う。

15th Apr 2019

去年の夏から半年ほど病院暮らしが続いた。命に関わるような病気ではないが、身体が不自由になり、その運動機能回復の為の入院だ。その間、いろいろ勉強になったことや考えたことがあるが、そのことはここには書かない。というかあまりにも多いので整理がつかない。仕事は、この間も続けていて、原稿を書いたり、ライブを観たり、ラジオ放送の録音の為に東京にも出かけていたから、病院暮らしだったことは分からなかったかもしれない。さて、富士山麓にもようやく春がやって来そうだ。まだ、数日前の雪が少し残っているけど、もう寒さは戻ってこないだろう。草の芽が顔を出し、木には蕾が…。この自然の営みは、都会では実感できないかもしれない。「長い冬の終わり」という常套句のような表現があるが、この長いという形容詞の背後には、厳しい冬の寒さをしのいできた人間にはその時間以上の思いが駆け巡る。

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